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やがて困惑をもたらす植物達
 1 種子に困惑  
 以前このコーナーでコウリンタンポポについて記述したことがある。ある人から頂戴してきて、自宅の庭で育ててきたが、ネットで調べてみたところ、その繁殖力の旺盛さに各地で悲鳴を上げているというような事を述べたと思う。そして、我が家が発信源になって、私の住む地でも帰化状態になってしまうのかと危惧したものだった。だが、私の住む地は、毎年、夏場には、本日の最高気温は「群馬県館林市で、○○度でした。」等とTVやラジオで報道されるように、猛暑に襲われる地域である。どうやら、コウリンタンポポは、寒地性の植物であるらしく、そんなにも猛暑の訪れる地には定住したくは無かったらしく、かれこれ30年ほど我が家の庭で過ごしてくれたが、一昨年にすっかりと姿を消してしまった。残念な気持ちと安堵の気持ちと両方が私の心中に残った。いずれにしても、植物を育てるには事前にその植物についての知識が必要だなとコウリンタンポポからは教えられた次第である。
 だが、懲りもせず、またしても事前によく調べずに後に後悔した植物の事例を数例挙げてみたい。
その1 シロバナモウズイカ(白花毛蕊花)
 一昨年、地元JAの直産物販売所で「エサシソウ」という名札の鉢植えが販売されていた。私には馴染みの無い植物名だった。草丈10㎝程度の苗だった。一鉢しか無かったものだから、購入して帰り、自宅で育てて見ることにした。先ず、「エサシソウ」とは恐らく「江差草」なのだろうと検討をつけた。自宅の図鑑類には登場しなかったので、ネット検索を試みた。やはり、「エサシソウ」は「江差草」だったが、正確な和名は、「シロバナモウズイカ(白花毛蕊花)」と言うことが分かった。ヨーロッパ原産の野草と言うことだった。我が国には明治期に渡来したが、戦後急速に帰化状態と化し、特に北海道の江差地方に多く見られたことから「江差草」の名が付いたという。この植物も、その繁殖力の旺盛さに北の地では大いに迷惑をしているということだった。ネットで色々なリポートを読み進める内に、これはコウリンタンポポの二の舞だなと不安になってきた。だが、上述のように、コウリンタンポポは、自然に消滅してしまったのだから、それほど心配も無かろうと思い、とにかく一度花姿を見てみたいという一心から庭に植えて育てて見た。やがて、茎はぐんぐんと伸びて、まるで細い棒でも地面に突き刺したかのようになった。あまり分枝をしないからであった。やがて、花が咲いた。花は、一日花ではあったが、次々と開花してくれた。近寄ってみると、以外にも見応えのある花であった。すっかり、気に入って、咲くがままにし、やがて、秋を迎えてしまった。後で気づいたことだが、一花か二花観察した時点で除去すれば良かったのだ。だが、初めて目にした花でもあり、あまり近隣でも目にする事の無い花であったから、ついそのまま年を越してしまった。翌年、驚いた!あちこちからエサシソウの新芽が顔を出していた。それも、ほんの僅かなコンクリ-トの割れ目からも顔を出している。止せば良いのに、前年の花姿の記憶が残っていたものだから、これが群落状に開花したらさぞかし見事だろうと、またしても放置してしまった。今度は、随分たくさんの茎が立ち上がり、1m前後程度となった。開花すると、花は夕刻には落ちてしまうが、翌朝にはまた、すっかり満開の様相を呈する。すっかり気に入って何枚も写真に収めた。そして、今年もまた発芽した。その数夥しい程であった。これはたまらん!ということで、すべて除去することにした。この種子、とても小さく、風に吹かれて何処にでも転がって行きそうだからである。
 既に、コウリンタンポポで懲りていたはずなのに・・・・・。
 そして、今年もJAの直産物販売所では、エサシソウの鉢植えが売られていた。
その2 ケイトウ
 我が家では、毎年、目の前の通りに面した花壇にチューリップを植え続けてきた。ただ、このチューリップなる植物、ある一定の温度にならないと花を開かない。毎朝出勤する時には花は閉じていて、帰宅時にも閉じているのだった。つまり、日中でないと花が開いた姿を見られなかった。そこで、ある年、気まぐれに、ケイトウを植えてみた。所謂鶏冠状のケイトウではなく、プルモーサ系と呼ばれる花穂が長く伸びるタイプであった。多分何処かの公園等でたくさん植えられている光景が印象に残っていたからかも知れない。その年、夏場は見事であった。だが、我が家の前を取って駅に向かう人や知人立ちから、今年は、チューリップが見られなかったですね等と言われ、やはり、再びチューリップに戻すことにした。だが、驚いたことに昨年のケイトウから落ちた種子から発芽したと思われるケイトウがあちこちに発芽してきていた。前年の秋には、チューリップの球根を植えるにあたり、かなり深く耕した筈なのに、しっかりと発芽していた。すべて除去した。そしてその翌年も、その翌々年もと、毎年ケイトウの芽は顔を出した。その後10年も経過しても、未だにケイトウが発芽してくる。見つける度に除去しているのだから、発芽してくるのは、最初に植えた年のケイトウから落ちた種子ということになる。その生命力のたくましさには驚いたものだった。そういえば、先年、埼玉県行田市にある古代蓮の里を訪ねた際に、古代蓮の種子を購入して来た。睡蓮鉢に植え込んだところ、2年後には、見事に開花したのには驚いたほどである。我が国各地に古代蓮の里が存在するが、どれも数千年前のハスの種子から発芽をさせ、開花させたものであるから、上述のケイトウの発芽等は驚くに値しないのかも知れない。ただ、花壇として、様々な植物を栽培したい時には、やはり、事前に知っておかないと、後に困惑することとなろう。
その3 タカサゴユリ
 我が家の庭には、あちこちにタカサゴユリが生えてくる。こちらは、特に好んで植えたものでは無い。勝手に何処かから種子が飛んできて我が家に定着してしまったのである。
 そもそも、初めてタカサゴユリを目にしたのは、今から15年ほど前だった。市内の県立美術館に出かけた際に、敷地内に色々と園芸植物が栽培されていた。しっかりと名札もつけられていた。それらを見て回っている内に、ふと目に入った百合があった。遠目にはテッポウユリにも見えるような百合であった。だが、テッポウユリとは花の付き方が違っていた。近寄って名札を確かめてみると「タカサゴユリ」と明記してあった。私は、その名をこれまで知らなかった。同行した妻に聞いてみると、妻も初めてとのことだった。帰宅して図鑑を調べてみると台湾原産の百合である事が分かった。美術館に、しっかりと名札をつけて栽培されていたのだから、それなりの園芸植物なのだろうと思って過ごして来た。だが、それから数年を経て、市内のあちこちでまるで野草のように生えているこの百合を目にするようになった。それも、年を重ねる毎にその数が増えてきた。上述のように台湾原産の百合ということであるから、路傍に見られるようになったということは所謂帰化植物として定着したと言うことになる。だが、概して百合という植物は、球根で繁殖する植物である。野山や路傍に誰かがその球根を植えて歩いたとは考えにくい。我が家の庭に見られるオニユリの場合には、球根以外でもムカゴでも容易に繁殖をする。だが、このタカサゴユリの場合には、確認をしてみるとムカゴは付かなかった。では何故、そんなに増えるのかと訝しく思って過ごしていたが、ある年、ついに、我が家の庭にもこのタカサゴユリが生えてきた。花が咲くまでは、随分葉の薄いオニユリだなと思っていたが、開花してみるとタカサゴユリだった。そういえば、我が家のご近所でも数年前から敷地内にこの百合が開花している光景を目にしていたのだった。そして、我が家に生えたタカサゴユリを観察していてわかったことは、この百合は、開花後に出来る種子で繁殖するのだということだった。開花後に、円柱状の果実が直立してつき、やがて、その上部が割れて、内部が3室になっていることが分かる。その中に、種子が夥しいほど入っている。この種子、薄い円盤状で、とても軽い、そこで、風に吹かれると何処にでも飛んで行くのだ。そして、予想以上に発芽率も良い。この種子が転がって行き着いた先に定着することになるのだが、コンクリートの割れ目等に入り込むと、そこから先は風を受けることも無いので、そこに定着をする。そして、その下に球根を形成し、上部には茎を立ち上げ花をつけると言うことになる。
 ある日、ご近所の方から、名前を聞かれたので、「タカサゴユリ」と答えると、その方は
 「あー、一番最後に咲く百合ね。」
と言ったものだった。確かに、この百合は、夏の終わり頃から開花を始める。そして降霜期の頃まで開花する。以前、都内の大学に講座を持っていた頃、出勤の途上、12月だというのに、庭先でこの百合が咲いている光景を目にし、上述の「一番最後に咲く百合」という言葉を想起したものだった。この百合、台湾原産と言うことだから暖地性の植物かと思いきや、意外と寒さに強い。少しくらいの降雪ならば、越冬してしまうのだ。更に、この百合、速ければ、発芽して1年でも開花する場合がある。
 タカサゴユリも、他の百合と同様に年数を経るにつけ、花数も増えて行く。だが、真横を向いて開花するので。花数が多くなると花瓶などに挿し難い花でもある。さらに気づいた点がある。当初、我が家で初めて目にした時には、花被片の横に紫赤色の筋が入っているか、基部が淡い紫赤色になるかであったが、いつの間にか、純白になってしまっている。聞くところによると、このタカサゴユリとテッポウユリとを交配して「シンテッポウユリ」なる園芸植物が作出されているという。写真を見ると、我が家のタカサゴユリに花姿はよく似ている。
 タカサゴユリが我が国に渡来したのは1923年頃と言われている。その後90年も経過している。今や我が国の立派な帰化植物であり、外来侵入植物と言うことになる。どうやら、我が家同様に、敷地内に侵入してきて定着をみても、他の雑草の類とは相違して、花姿が、それなりに見応えがあるので、除去されずに放置されているように見受けられる。だが、やはり、在来の植物との競合や生態系の維持という観点からは除去しなければいけないものと思っている。
 まだまだ、このタカサゴユリ以外にも、たくさんの外来植物が、雑草として庭に入り込んできている。子どもの頃には目にすることの無かったような雑草がたくさん増えてもいる。そして、その繁殖力の旺盛さには驚かされる。
 2 蘖(ひこばえ)に困惑
 1 ロウバイ
 以前、川口市の安行でロウバイの苗を購入した。花の少ない時期に花開き、しかもその香りが良いので前々から欲しいと思っていた樹木だった。私が購入したのは、正確にはマンゲツロウバイという花弁が丸みを帯びている種類であった。我が家に定着してから、かれこれ30年以上も経過している。このロウバイなる植物、確かに、上述のように12月~1月にかけて、すっかり葉を落とした枝に、黄色い蝋質な花をつけてくれる。近くを通ると、夜間でも、その漂う芳香で、開花を知れる存在でもある。一枝切って鶴首の花瓶にでも挿しておけば、夜間人の動きが無いために、早朝には馥郁たる香りが部屋中に充満していて、思わずうっとりするほどである。
 だが、この樹木、やたらと徒長枝が出て、酷く暴れた枝振りとなるのだった。市内を車で走っていると、見事に樹形を整えてあるロウバイの姿を目にしたりすると、感心してしまうほどである。この樹木の性質を熟知した上で剪定しているのであろう。だが、私の場合には、そうした学習を抜きにして、手当たり次第に剪定をしてしまっている。何しろ、その徒長枝たるや、上にも、横にも、よく伸びるのだ。ところが、ある年、思い切って、他の樹木にも邪魔になるので、太い枝を切り落としてしまった。すると、どうであろう、翌年の春には、根元から驚くほどの蘖(ひこばえ)、つまり、シュートが立ち上がってきたのである。これには驚いた。仕方が無いので、それらの蘖を切るのだが、毎年、そこから出てくる。そして毎年それを切るの繰り返しをしている内に、その部分が、今では、その部分が、大きな板根状になってしまっている。これも、私の無知さ加減がもたらしたものと今更ながらに反省している次第である。
 2 ウメモドキ
 私の書斎は、北向きになっている。ある書を読んで、書物を大事にしたければ家屋の北側に書斎を設けるべきであると書かれており、私も、その説に賛同し、現在の家屋を建てる時にそのようにしてみたのだった。北向きの窓からは、朝陽は入るが、一日の大半は日光が入り込むことは無い。そのために書物が日に焼ける心配も無いのだ。
 その書斎の北側の窓からほんの1.5m程度の所にウメモドキがある。秋になると、真っ赤に熟した実を啄みに野鳥たちがやってくる。とても間近で野鳥を観察出来るのでとても気に入っている。その時期には、カメラを直ぐ手にできるように近場においていつもタイピングをしている。そのウメモドキ、樹高は1.5m程度であり、当初は5本の株立ちであった。だが、やがて、枝葉があまりにも多く繁りすぎた上に、幹切り枝も出てきたりしたので、ある年、それらを整理しようと剪定してみた。すると、上述のロウバイ同様に、翌春、根元からたくさんの蘖が林立してきた。これも、ウメモドキという樹木の性質をよく調べてから事に臨まなかったことが災いしたものとこれまた反省した次第である。出来れば7本立ち程度にしたいなと願っているのだが、上を切ると、また地表から倍返しのようにシュートが飛び出してくるのだ。いつになっても7本立ちにならない。ただし、ウメモドキの場合には、株元が板根状なることは無かった。
 今年は、放置してあるので、地表から30㎝程度の高さの蘖にも花が咲いていた。恐らく、今年の秋には、野鳥たちは、低い枝にも餌を求める結果になるのだろう。
 3 月桂樹
 いつの頃からあるのか、いつ頃我が家にやってきたのか分からないが、我が家に一株だけ月桂樹が存在する。恐らく、今は亡き父か母かのいずれかが我が家に植えたものなのであろう。そういえば、上述のウメモドキもそうである。私は、ほぼ10年近く、この家を離れて生活をしていた時期があるので、その頃に植えられたものと推測される。ただ、どのようなきっかけでこの月桂樹なる洋風の樹木が我が家にもたらされたのかについては今も興味のある事柄であるが、今となっては知る術も無い。
 この月桂樹なる樹木、あまり横枝を出すこともなく、上方向に伸びるので、他の樹木の邪魔になることもない。以前、別のコーナーで記述したことがあるが、我が家の両隣の敷地は、数十年に渡って空き地だった。そこで、この月桂樹も伸びるがままに放置していたのだったが、10年ほど前に、両隣に片やアパートが片や商店が建てられたのだった。そこで、月桂樹もあまり樹高を高くしておいては、お隣さんに長い時間日陰を作ってしまうだろうと考えて、地表から2m程度の所で止めてしまったのある。するとこれまた上記2例と同様に翌春、蘖がたくさん地表から顔を出す結果となってしまった。上述のロウバイやウメモドキの場合には、株元から飛び出しだけであったが、月桂樹の場合には、根元から1m以上も離れた場所からも飛び出してくるのには大弱りである。他の園芸植物に影響するからである。毎年、春には、この月桂樹の蘖と格闘しなければならない。
 3 根に困惑 
 1 フジ
 現在の家屋を建てた際に、南側に、アルミ製のパーゴラを設置した。リビングの前にはキウイフルーツを、和室の前にはフジをそれぞれのパーゴラに植えてみた。どちらも目的通りに、夏場に日影を作ってくれ、冬には日差しを部屋に注ぎ込んでくれたし、キウイは毎年結実しその味を楽しめ、フジはこれまた、毎年見事な花を見せてくれるので、それぞれのパーゴラの設置は成功だったなと思って過ごしてきた。ところが、数年後、それまで長いこと空き地だった西隣に、商店と民家が建てられた。フジの木は、我が家の西側の敷地に植え込んであったのだが、一つ問題が生じた。毎年フジは5月の連休頃に花を開く。それまでは、長い花房が垂れ下がる様子を眺めて悦に入っていたが、この時季には、何故か東から突風が吹くことが多い。そうなると、フジの花びらが、まともに隣家の庭先に飛び散ってしまうのだった。そこで、やむなくそのフジを切ることにした。人間の太腿程度にまで生長してしまったので、素人の私には移植は不可能と判断し、根元から切ってしまったのだった。そして、根も十分に掘り上げた積もりで翌年を迎えた。すると、庭のあちこちからフジの芽が顔を出していた。かなりの太さになっていたから、それなりに根も広く走っていたのだろう。その根から発芽したのだった。そこで、フジの芽を見つけ次第に掘り上げるのだが、あれから10年以上も経過しても、まだ、フジは地表から顔を出すのだ。地表に枝も葉も無くてもこんなにも長い年月、根から発芽してくるものなのかとあらためてその生命力のすさまじさを教えられた思いがするのだった。
   
 2 タカノハススキ
 妻が、ある年、花材に用いるためにとタカノハススキを持ち帰ってきた。それを庭の2箇所に植えて見た。あの黄色い虎斑模様の入った葉姿は、それだけでも確かに風情があったし、十五夜の飾り付けにも、花穂を供えることが出来ると有り難がって過ごしていた。また、ナンバンギセルを寄生させるにも丁度良かったりもしたのだった。
 だが、やがて、数年後には、株が徐々に大きくなり、他の園芸植物にも影響を及ぼすようになってしまった。そこで、他のたとえばヤクシマススキ等のように掘り上げて鉢植えにすれば問題なかろうと考え、早速実行に移した。ところが、このススキという植物、徒者では無かった。根が網目状に幾重にも発達していて、スコップが入って行かない。掘り上げるのには随分難儀した。スコップがだめならと根掘りも使ってみた。だが、根が上部で、しかも深く、とても根掘りでは無理だった。結局、私の知恵は鋸に向かった。盆栽用の刃先の細い鋸で、根を少しづつ切り離していった。それにしても、草の根を鋸で切ることがあろうとは考えてもみなかった作業である。ススキ類は、掘り上げる予定の無い人が庭に植えるべきなのかも知れない。
4 咲かない・成らないに困惑  
 1 セイヨウシャクナゲ
 今年、嬉しい事があった。今から20年以上も前に栃木県鹿沼市のシャクナゲパークで購入して来たセイヨウシャクナゲが花開いたのだ。「ヴィヴィアニー」という品種名である。その時に一緒に購入した「キコスマイル」という品種名のセイヨウシャクナゲは、買ってきた翌年から毎年花開き、今では、樹高は3m程度になり庭の大きな空間を占めてどっしりとしている。一緒に購入して来たこのヴィヴィアニーなるセイヨウシャクナゲは、購入時には間違いなく花がついているのを確認しているのだが、翌年からは全く開花の気配は無かった。それどころか、主幹が枯れて、それまで枝だった部分が幹に取って代わり、を何度か繰り返しており、未だに樹高は50㎝程度でしか無い。あまりにも開花しないので、また、生長も遅いので、これまでに植える場所を3度程替えて見た。そして、今年やっと花開いたのだった。このセイヨウシャクナゲを購入する時には、亡母も同行しており、開花を楽しみにしていたのだったが、とうとう母は生前に我が家の庭で花開く姿を見ることは出来なかった。恐らく植えた場所の水はけや西日の当たり具合などが影響していたものと推測される。開花時期が、亡母の命日に近い頃だったので、墓前にやっと咲いたことを報告をしたものだった。仏壇にも切って花を供えたいところだったが、母には申し訳ないのだが、20年以上も待ち望んでやっと開いた花なので、あまりにも貴重に思えて切ることは出来なかった。
 それにしても随分と開花までが長かった。
 
 2 ベニフジ
 妻が定年退職をした時に、彼女の友人から鉢植えのベニフジが送られてきた。かなり大きめの鉢でもあり、立派に花もついていた。折角の贈り物でもあるから、記念にと花後に鉢から抜いて庭に植え付けてみた。フジでは、上述の通り、懲りていた筈だったのだが、折角の妻の思い出でもあろうかと思い、場所を選んで植えて見たのだった。あれから、もう10年以上も経過しているが、哀しいことに、地に下ろしたベニフジは、その後一向に花をつけてくれない。よく言われる事なのだが、フジは、切る時季を間違うと花開かなくなるという。恐らく、私が、いつ頃、どのような部分で切れば良いのかを調べずに長く伸びてしまう蔓を切ってしまうことが原因なのだろうと思う。しかし、放置するとフジの蔓は何にでも巻き付いてしまい、収拾が付かない程になってしまうのだ。
 3 ユズ
 亡母が生前にユズの苗を購入してきて庭に植えた。毎年楽しみにしていたが、とうとう母はそのユズの結実する姿を目にすることは出来なかった。私の住む地方では「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十六年」という諺がある。それほど柚子は、結実するまでに長年月を要するということを伝えているのだろう。だが、母が植えてから20年近くなっても結実しないので、既に母も他界してしまったことでもあり、許して貰えるであろうと考え、その柚子は,根元で切ってしまった。その翌年、妻が、母に申し訳ないからと、実の付いたユズの苗木を購入して来た。あれから、既に10年以上も歳月が流れたが、妻が買ってきたユズもこれまた、結実することは無かった。ただひたすら生長し、やたらと徒長枝が伸びたりしていた。しかし、これまた、先年他界した本家の小父さんから、生前、ユズは枝を切るとならないと言われていたので、じっと我慢をし続けた。だが、ついに、我慢しきれずに、一昨年、徒長枝を整理した。ユズの枝には鋭い刺があり、随分難儀をしたものだった。すると昨年、白い花が見られた。そして、楽しみに待っていると、4個だけだったが、結実した。今度こそは、毎年結実するかと楽しみにしていたが、その翌春には、花を確認出来なかった。
 恐らく、未だ成長期にあるのかも知れない。もう少し待とうと思う。他の柑橘類はよく結実するのに、ユズばかりはだめだった。カボスも毎年よく結実するのだが、やはり、味も香りも異なる。カボスの場合には、青実の内に採取して香味付けに用いるが、ユズは黄色く成ってからである。あの黄色く色づいた果皮を、妻は薄く切って、それを冷凍庫に入れて保存している。必要な時に、必要な量だけを取り出せるからだ。
5 移動に困惑   
 1 クマガイソウ
 ある年、妻が、知人からクマガイソウを頂戴してきた。早速庭に植えて見た。翌年から見事に花を見せてくれた。だが、驚いたことに、前年に植えた場所とは、まるで離れた場所から芽を出したのだ。何株も芽を出してくれたが、それぞれ随分と離れて芽を出していた。その翌年もまた、春に芽を出したが、これまた、随分前年の発芽場所とは離れた場所に芽を出していた。最初に植えた場所からは3m程度も離れていた。そうなると、地下の根茎を断ち切ってはいけないと思えて、クマガイソウのある周辺には他の園芸植物や山野草を植えることが出来なくなってしまって随分困惑をしたものである。恐らく、クマガイソウ自身は、地下で自分の生活し易い場所を探して移動して回ったのであろう。いずれにしてもその移動の距離に大いに驚かされたものである。そのクマガイソウも、イトヒバヒノキスギなどの常緑針葉樹を切り倒してしまったところ、あまりにも日当たりが良くなってしまい、地面も大分乾燥気味となってしまったためか、ついには姿を見せなくなってしまった。
 2 シラユキゲシ
 かれこれ10年以上も前のことであるが、買い物の途中で、市内のあるお寺を見学させていただいた。丁度ご住職も庭におられ、色々とお話を伺うことが出来た。その時に、ヒノキの林の下に、白い花をつける野草が目に入った。ご住職が「シラユキゲシ」と名前を教えてくれた。宜しかったら、たくさん毎年生えてくるのでお持ちになりませんかと言って、数株掘り上げてくれた。自宅でも、そのお寺さんと同様に、針葉常緑樹の根元に植えて見た。一株だけ鉢植えにしてみた。鉢植えにしたしたシラユキゲシはあまり成績はよろしくないが、未だに鉢の中で生命を保っている。一方の地植えにしたシラユキゲシは、元気が良い。こちらは、上述のクマガイソウと同様に予想もしなかったような場所へと移動して発芽するのだった。クマガイソウもシラユキゲシも、どうやら、あまり直射日光が強くあたらないような場所を探し求めて発芽するようだ。最初に植えた場所からは、今では5m以上も離れた場所まで移動している。そうなると、クマガイソウの時と同様に、地下にシラユキゲシの根が走っているかと思えると、やたらと地面を掘り返すことが出来なくなってしまうのである。
 3 ボタンクサギ 
 上の2種とは相違して、ボタンクサギの場合は、木本植物である。樹高は精々1m程度までの落葉低木である。この樹木も、妻が知人から頂戴してきたものである。確かに開花時は見事なのだが、こちらも予想もしない場所から芽を出してくる。最初に植えた場所からは、今では5m程度も先までも根が走って発芽する。この植物の場合には、必要と思える程度を残して、除去するようにしている。しかし、もし、この植物が、人家の庭で無く、山野に植えられたら、その繁殖力が旺盛なので、直ぐに蔓延してしまうのでは無かろうかと危惧される。だが、幸いにして、ボタンクサギが野生化したという報告は未だ耳にも目にもしていない。しかし、この縦横無尽に移動する光景を見ていると、いつ野生化しても不思議は無いようにも思える。
6 突然消えてしまい困惑
 こちらは、個別に記述しないでまとめて記述したい。我が家で、何度も植えて見ては、数年間定着していたかなと思っていると、ある年、すっかり、姿を見せなくなってしまった植物がある。私が、庭に植えたままで放置してしまったことが良くなかったのか、フクジュソウケマンソウは何度も同じような状況にある。フクジュソウの場合には、自生している場所を確認するとカタクリなどと同様に落葉樹の林下に見られたので、出来るだけそれに近いような場所を選んで植えてはいるのだが、5年前後で、すっかり絶えてしまっている。それでも懲りずに、買ってきては庭に植えているのだが・・・。
 更に、上述のカタクリエビネサイハイランクマガイソウヤマブキソウ等も突然消えてしまって困惑をした事がある。ただし、この5種の場合は、原因が分かっている。庭の樹木を伐採したことが原因なのだ。つまり、あまりにもこれまでよりも直射日光が当たりすぎるようになってしまった事が要因なのである。中でも残念に思うのは野生ランの類で、せめて鉢上げをしておけば良かったと今更ながらに後悔している。中でも、エビネの場合は、一頃エビネのブームがあったが、既にそれ以前に、あちこちの知人達から送られてきた地エビネの数々が絶えてしまって残念に思っている。九州産のもの、東海地方のもの、関東近県のものと何種類も集めていたのだった。今ではそれも我が家の庭では目にすることが出来ない。
7 固い樹木
 個々では、次の3種類だけを記述しておきたい。それは、モチノキカリンビワの3種である。それも、生木ではなく、枯れた木の場合である。我が家の庭で、上述3種の樹木が、地表から50㎝から1m程度で切られたまま放置されていた。しかも大分前に切られたらしく、完全に枯死していた。見た目にも不自然だし、邪魔でもあるので、切ることにした。どの木も、生木の時にはさほど硬さを感じなかったが、枯死したそれらはとても固かった。思えば、カリンの場合には盆栽鉢を乗せる卓を作ったり、モチノキはかつては印材にも用いられたりしたのだから、固いことは不思議は無かった。とにかく、木が切れるよりも先に息が切れてしまい、大いに難儀をしたものだった。やはり、生木の内に処理をすべきだったと反省した次第である。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、BGMに、Suzann BoyleのCDを選んでみた。ある日、毎朝の日課である妻との散歩の途中で、イヤホンからのラジオ放送が流れており、随分懐かしい曲が流れて来た。かつての和製フォーク・グループ赤い鳥のヒット曲『翼をください』だった。だが、英語ヴァージョンだった。私には耳慣れていない歌声だったが、とても気に入った。知人にメールで尋ねてみると、イギリス人のスーザン・ボイルだという。イギリスのあるTV局のオーディション番組で一躍有名になった女性で、私も、その番組を見たことがあった。早速、市内のCD店に向かうと、どうやら、話題の人物らしく、CDは横積みになってたくさん置かれていた。もう数年前のことである。その年のNHKの年末恒例の紅白歌合戦にも彼女は招聘されている。彼女のアルバム’I dreamed a dream'には、全部で13曲が収録されていた。その最後に、日本発売のボーナス・トラックとして上述の『翼をください』が入っていたのだった。色々な歌手のカヴァー曲が彼女らしく歌われている。あのジュリー・ロンドンのヒット曲『Cry me a river』やマドンナの『You'll see』であるとか、懐かしい曲ばかりである。滅多に取り出すことの無かったCDだったが、今回は、タイピングしながら、思わずうっとりとしてしまったものだった。
 H.25.06.14