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コウリンタンポポの思い出
 我が家庭に、かれこれ30年以上も定着している植物がある。コウリンタンポポ(紅輪蒲公英)という植物である。下の写真のような植物である。
 このコウリンタンポポ、妙なきっかけから、我が家に住み着くこととなったのだった。
 まだ30代半ばの頃、よく出かけた場所が二カ所ある。その一は箱根であり、その二は、日光である。どちらも、私のような素人が植物を観察するには格好の地であった。特に、日光の場合には、東北自動車道が開通してからというもの、我が家からは、さほど時間を要さずに出かけられるので、とてもありがたい地であった。
 日光について語っていたら、一冊の書が出来るほどであるが、華厳の滝見学用のエレベーターの乗り場所から、ほんの少し中禅寺湖よりの場所に、東武鉄道系列の会社が、茶ノ木平までのロープウェイを運行していた。個人的には日光では好きなポイントの一つであった。紅葉シーズンには、ロープウェイの真下に色づいた木々を眺めることが出来たものだった。上に上がると、そこには、やはり東武部鉄道系列の会社が経営していたと思われる茶の木平植物園があった。しかし、それよりも何よりも、茶ノ木平から見下ろす中禅寺湖は、格好の写真撮影のポイントでもあったのだ。上には、全て過去形で表記してきたが、実は、そのロープウェイは、5年以上も前に営業を辞めてしまっているのだ。一昨年の夏に、家族全員で日光に行った際に、例のロープウェイで茶ノ木平まで上がって中禅寺湖を一望の下に見下ろしてみたいと思ったが、既に営業を停止しているとのことだった。個人的には、とても残念でならない。今でも、誰か茶ノ木平植物園を管理しているのだろうかと思うと心配で仕方がない。
 その茶ノ木平植物園に、一棟だけレストハウスがあった。Sさんという。上品な高齢の女性が一人おられた。丁度、ロックガーデンの前でもあり一休みするには良い場所だった。何度もそこで、コーヒーなどを飲んでいたものだから、Sさんとは、すっかり顔なじみになってしまった。ある年、各テーブルや、窓際に置かれた鉢植えの高山植物の中に、私としては見知らぬ植物を見つけた。Sさんは、それは、コウリンタンポポと言い、ヨーロッパのタンポポですと私たちに教えてくれたものだった。宜しかったら、その鉢をお持ち帰り下さいと言ってくれたのだった。私も同行した妻も喜々として頂戴して帰ったものだった。その日の帰路、二人で、あんな冷涼地で栽培される植物が、果たして我が家に定着するものか、それともそれは無理なのかと話し合ったものだった。万一、我が家の庭に定着できないのであれば、大変申し訳ないことをしでかしたことにもなるからだ。あれからほぼ35年以上にもわたって、私たちの心配をよそにして、コウリンタンポポは、我が家の庭にすっかり定着してしまった。下の写真のように地面をすっかり覆うようにして定着している。
 その後、長いこと、コウリンタンポポを他の場所で目にすることは無かった。植物関連の雑誌や図鑑等の書物でもお目にかかることはなかった。だが、我が家のコウリンタンポポは絶えることなく、着実に定着を見せてくれていたのだった。コウリンタンポポは、秋も深まると、徐々に葉の色が変化する。緑色から赤紫色へと変化するのだ。つまり、紅葉するのだった。そして、降霜の頃ともなると、しっかりと、ロゼット状になった葉を地面に広げたまま越冬するのだ。逆に春から夏にかけての葉は淡い緑色で、葉の表面に白い細毛をたくさん見せる。細毛は意外に長い。5月~6月にかけて開花を見る。コウリンタンポポの別名にエフデタンポポ(絵筆蒲公英)があるが、果たして誰が名付けたのか知る由もないが、言い得ていると思う。花茎がとても長いからだ。とてもか細い花茎で、これにも細毛がたくさん見られる。その頂に、赤橙色の花を見せてくれるのだ。地面が見えないほどに広がった葉の上に、たくさんの花茎が出て、次々と開花を始めると、葉の色と花の色とのコントラストが絶妙である。
数年前に、人為的に栽培されてものではなく、野生化したコウリンタンポポを偶然目にした。場所は、日本ではなく、カナダであった。正確にはカナダの東海岸、つまり、大西洋側の都市、ケベック・シティの郊外にあるオレルアン島という所である。ケベック・シティ市内には、あの有名なナイアガラの滝から流れ出したセント・ローレンス川が流れている。その川の中州に出来た島が、オレルアン島でなのである。とにかく、大きな島だった。ということは、セント・ローレンス川が如何に大きいかも理解できよう。因みに、あの大都市モントリオールそのものも、セントローレンス川の中州に発達したということである。オレルアン島は、どうやら、リゾート地になっているらしく、別荘らしき建物があちこちに見られた。また、伝統的はカナダの農業の在り方も見学出来る地でもあった。そのオレルアン島の広大な丘陵地帯を車で通過している時に、草むらの中に目にしたものが、コウリンタンポポだった。あまりよい写真ではないが、下のような草原であった。車を止めて貰って、現地の知人に尋ねてみたが、名前は知らないということだった。葉と言い、花と言い、間違いなくコウリンタンポポであった。我が家の庭以外で目にしたのはこれが初めてだった。しかも、栽培されているものではなく、まるで野生化しているかのような状態で他の野草と共存していたのだった。
 帰国後、自宅で、今更ながらに、コウリンタンポポを調べてみた。我が家の蔵書の中では、朝日新聞社から出版された『世界の植物』と北隆館から出されている『日本帰化植物図鑑』(長田武正著)に記述を見た。しかし、前者には、写真は掲載されていなかった。また、後者の場合は、カラー版ではなかったが、イラストが掲載されていた。両者ともに、それがヨーロッパ原産で、現在帰化状態にあるというような記述が見られただけだった。加えて、アメリカでも帰化状態にあり、当初、花の美しさから「ヴィーナスの絵筆」と呼ばれていたが、その後、あまりの繁殖力の凄さに、「ヴィーナスの絵筆」はついには「悪魔の絵筆」と呼ばれるようになってしまったというような事柄が述べられてあった。
 次に外国の文献を開いてみた。アメリカやカナダの書にはコウリンタンポポは見られなかった。そこで、ドイツ・ミュンヘンのGräfe und Unzer社から発行された『Alpenblmen』(Wolfgang Lippert著)を開いてみた。アルプスの野生植物がカラー写真入りで掲載されている図鑑である。この書では、コウリンタンポポのドイツ語名を”Orangerotes Habichtskraut”と表記していた。orangeは「オレンジ色」であり、rotesは「赤」である。そして、Habichtskrautとは我が国のミヤマコウゾリナのことである。確かに、草姿も花姿も、葉姿も、どれも似ていなくはないと感心した。ただし、ミヤマコウゾリナは、茎の上部で分枝してそこに葉も見られるが、コウリンタンポポの場合には、花茎の先で分枝し、花はつくが葉はそこにみられない。また、ミヤマコウゾリナは、花色が鮮黄色である。
 ドイツの書に見られるのであるならば、フランスの書にも見られるのではなかろうかと開いてみた。フランス・パリで発行されたGründ社の”Flora des campgnes”(Pamela Bristow著)を開くと、そこにはフランス語では”Épervière orangée”と出ていた。そして、それがヨーロッパの山地が原産である旨の記述が見られたのだった。因みに、本書は、写真ではなく、カラーイラスト版である。
 次に、イギリスで発行された書を数冊開いてみたが、そこには、コウリンタンポポを見つけることが出来なかった。どうしても英名を知りたいと思ったので、アメリカとカナダそれぞれの大学の知人に調べてくれるように学名を添えて依頼したところ返事が返ってきて、英名を”Hawkweed"ということを知ることが出来た。ただ、英名でも、上述の仏名でも「タカ(鷹)」に因んだ名前となっていることに奇異を感じ、更に学名を調べてみた。
 コウリンタンポポの属名はHieraciumという。これは、ギリシャ語の「鷹」に由来しているのだった。タカが視力を高めるために、この属の植物の汁を飲んだという古い伝説に基づいた命名だった。そう言えば、コウリンタンポポの花言葉は、「眼力」或いは「目ざとさ」であったことも納得が出来るのである。そして、この学名に因んで、英名も仏名も「タカ(鷹)」と関連した名前となっているのだろうと個人的には推測している。
 因みに、学名ではなく、Hawkweedで検索してみると、カナダで購入した2冊のカナディアン・ロッキーの野生植物に関する図鑑に掲載されていることを後に知ることが出来たのだった。
 ネット検索もしてみた。すると、あるわあるわ、少しも珍しい植物ではなかった。特に、北海道の方々からの投稿が多い。中には、神奈川県の帰化植物のコーナーにも登場していた。繁殖力が旺盛なので、駆除すべきであるといったご意見も多数見られた。我が家の庭にあるコウリンタンポポも、珍しがってこのまま放置しておいて良いものなのだろうかと不安にさえ思えてきたのだった。やがて、セイヨウタンポポのように、日本全国で目にするようになってしまうのだろうか。ネット検索をしてからというもの、驚くやら、恐れ入るやらで、コウリンタンポポを見る目が変わってしまったようにも思えるのだ。コウリンタンポポそのものには少しも罪は無いのだが・・・・・・・・・。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、スウィングル・シンガーズのスキャットを流しながら、タイピングしました。今から30年ほど前に初来日しました。その記念盤として発売された「Meets Bach」というレコードを個人的にデジタル化したCDで聴きました。例えば、パブロ・カザルスの演奏に引き続いて、スウィングル・シンガーズのスキャットで「バッハの無伴奏チェロソナタ」であるとか、ミルト・ジャクソンのヴァイブやジョン・ルイスのピアノというジャズイストによるオブリガードの後に、彼らのスキャットで、バッハの「G線上のアリア」といった変わった構成のレコードでした。スウィングル・シンガーズのコンサートには、何度か出かけましたが、その都度恐れ入って帰宅したものでした。
 H.20.07.06