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ナシ(梨)について
 以前、このコーナーの「モモ(桃)について」の項で、終戦の年に東京から群馬のこの地に住み着いて何より有り難かったのは、果物だったと述べた。果物ばかりではなく、食べ物があるということは有り難かった。
 私の住み着いた地は、モモの項で述べたように校歌にも歌われるような桃の郷であった。そして、隣村はナシの産地であったとは、これまたモモの項で述べたとおりであった。我が家では、モモが熟すと隣村の親戚の家にそれを届けた。そしてお返しに隣村の親戚の家からは、モモとは時期的に幾分遅れてナシが届いたものだった。品種は「長十郎」という名前のナシだった。秋には学校で、運動会や遠足があった。そうした際には、誰もがナシを持参したものだった。したがって、ナシの味は、小さい頃から親しんでいたものだ。
 ところで、当時、我が家の井戸端に何故か1本だけナシの木があった。それも、私の知るナシの木とは様相を異にするナシの木だった。私の知るナシの木とは、今もそうなのだが、果樹栽培用に育てられた木だけに、人間の手が届く程度の樹高であり、枝は随分と長いものという印象だった。ところが、我が家の井戸端に見られたナシの木は、まるで南国のヤシの木のような樹形であった。つまり、背高のっぽで、大人の身長の2~3倍程度もあった。しかも、その木の途中には枝が見られなかった。ただ、幹肌や、葉姿から、それがナシの木であることは分かった。父に聞いても、母に聞いても、ナシの木だと言っていた。だが、そのナシの木は何故か実をつけなかった。毎年楽しみにしていたのに、実がならなかったのだ。しかし、私が小学校4,5年生の頃に1個だけ実をつけた。とても楽しみにして熟すのを待ったことは言うまでもない。だが、上述の通りとても地上から高いところに結実したので、採ることが出来ない。しかも途中に枝がないので登ることも不可能だった。どうしたらそのナシを採れるかと思案していたところ、台風が去った後に、ナシの実が枝から落下しているのを見つけた。母が皮を剝いてくれたので、口に運んだのだが、期待に反して、そのナシは、とても固い上にナシ特有のあの甘味十分な水分もなく、とても食べられたものではなかった。年老いた今になって思うのだが、自然の状態ならばナシの木とは果たしてどのような樹形になるのだろうか、そしてどれほどの樹高を見せるのだろうかと疑問がある。我が国で栽培されるニホンナシは、ニホンヤマナシ(Pyrus serotina)からの改良種と言われている。そのニホンヤマシは、我が国の本州中部以西の山野に自生が見られると言うが、残念なことに未だに実物に接する機会を得ていない。また、我が家には、植物関連の書物がたくさん蔵書されているのだが、ニホンヤマナシについては、その写真すらも目にしていないのだ。
 ナシの語源については、内部が酸味があることから「ナスミ」からの転訛であるとか、内部が白いことから「ナカシロ」からの転訛でであるとか言われている。
 お隣の中国では、「梨」の漢字で表記されていることはご案内の通りである。そして、我が国もそれに倣って漢字表記は「梨」である。かつては、ナシには「棃」の異体字も用いられた。どちらも<よく切れて滞りなくスムーズに通る>という意味から出来ている漢字である。つまり、果肉に対して刃が通りやすいことを意味している。だが、「利」の文字は、下痢の「痢」と同源であって、中国では多食すると下痢を起こすとも昔から言われている。また、その意味では、腸を刺激して便通を良くする働きもあるという説明も成り立つようだ。
 英語ではナシはご案内のようにPearである。フランス語ではpoire、ドイツ語ではBirne、イタリア語並びにスペイン語ではperaである。これらは、皆ラテン語に語源を有しているようだ。ギリシャ語ではapionと言った。そしてラテン語ではpirum或いはpiraといった。それらが上述各国に入り転訛していったということになる。
 ナシは、大きく分けて日本ナシと西洋ナシと中国ナシの3種類と言うことになる。日本ナシは、リンゴと同様の形状をしている。西洋ナシは、卵形もしくは不整球型で、独特の形状を見せる。中国ナシの場合には、日本ナシのような形状と西洋ナシ型のものとどちらもある。西洋ナシや中国ナシの場合、日本ナシに比較して芳香が強いのが特徴である。しかし、何と申しても大きな違いは食感ではなかろうか。英語では、日本ナシ及び中国ナシは”Sand Pear”と言うが、果肉の細胞が石細胞と化しているため口中でざらついた食感があるからだ。中国ナシの中でも日本ナシに近い品種群で「砂梨種」があるがこれからの英名が用いられたのだろうかとも推測される。一方の西洋ナシの場合、英語では”Butter Pear”と呼ばれる。果肉がねっとりとした食感をもたらすからである。アヴォカドの果肉をもう少し固めにした食感とでも言えばよいだろうか。西洋の人々には、このねっとりとした食感が受けるようで、ナシは人気果物の一種である。日本ナシは、採り立てをその場で直ぐ食べられるが、西洋ナシの場合は樹上では熟さないので、採ってから暫く熟すのを待たなければならない。また、日本ナシの場合は、そのほとんどが生食である。あれだけ甘味があり、しかも十分に多汁質でありながらナシのジュースというものはあまり耳にしない。西洋ナシの場合、缶詰やジャム等に加工され、ナシ酒も作られると言った具合に、その用途は豊富である。
 ナシ属の植物は、ユーラシア大陸の温帯地域とアフリカ北部に分布しているということである。つまり、アメリカ大陸やオーストラリア大陸には分布がないと言うことになる。イギリスには、ナシにまつわる故事・諺や民間習俗がけっこうある。興味のある方には、冨山房から出されている加藤憲市著『英米文学植物民俗誌』をお勧めしたい。フランスではどうだろうかと大修館書店から出されているジャン=リュック・エニグ著『[事典]果物と野菜の文化誌-文学とエロティシズム』を開いて見たが、ナシに関する項目立てそのものが見あたらなかった。しかし、アメリカ大陸にナシの木をもたらしたのはフランス人と言うことである。1685年にルイ14世がナントの勅令を廃止した後に、多くのプロテスタントが亡命したと言うが、その時に、フランス人の中でもユグノーの人々がアメリカ大陸にナシをもたらしたのが最初と言うことである。(春山行夫著『花の文化史』講談社刊より)したがって、アメリカの文献には、あまりナシに関する記述は見あたらない。フランスと言えば、ミレーの絵の中に「接木」をする男という作品あるが、これは、セイヨウナシの接木を描いたものであるという(今井敬潤著『くだもの・やさいの文化誌』文理閣刊)ことであるから、洋の東西を問わず、接木という技術は行われていたことが分かる。
 ナシはアメリカでは歴史が浅いと上に述べたが、世界的な生産量の比較の上では、中国、イタリアに次いでアメリカは第三位に相当している。どうやらナシは、アメリカの気候風土にあっていたのかも知れない。我が国の場合は、世界で6位ということであるから、我が国の国土面積から考えると随分頑張っているなと思える。しかし、世界的には、中国ナシと西洋ナシが圧倒的に多く栽培生産されており、日本ナシの国際化はまだまだマイナーであるとも言えよう。
 冒頭にナシは秋の運動会や遠足に欠かせない果物だったと述べたが、近年ナシの流通はむしろ学校の夏休み期間に始まっている。私の住む地域では今も旧盆で行われる。つまり8月半ばにお盆を迎えることになる。その旧盆の頃には、ナシが出回っているのである。つまり、収穫時期が随分早まったと言えるのだ。私が子どもの頃に親戚からいただいたナシは「長十郎」種であり、収穫期は9月から10月が収穫期である。ところが、近年出回っている我が国のナシは所謂「三水」と呼ばれている品種、つまり、新水、幸水、豊水の内で、前2者は8月が収穫期なのである。1ヶ月程度収穫期が早まったことになる。また、味も食感も、見た目も大いに変化したと言えよう。変化したと言うよりも「進歩」したと言えよう。甘味も増し、昔のナシの幾分がりがりした食感からさくさくとした食感へと進歩している。しかも皮が薄くなったし、見た目にも色合いが良くなったとも感じるのだ。皮が薄いと言えば、初めて「二十世紀」というナシを手にしたときには、びっくりした。皮の色がこれまでと異なっていた。所謂「青ナシ」だったからだ。皮も薄かった。いずれにしても、最近のナシを食べていると、果物を我が国では別の言葉で「水菓子」(※備考欄参照)というが、この言葉はナシから生まれたのではないかと思ってしまう程である。
 ところで、ナシの花は白くてリンゴの花にも似ている。開花期になるとナシ園では、枝が一定の高さに切りそろえられているので、白い絨毯を広げたようにも遠目には見える。しかし、同一品種をナシの圃場にたくさん植えても、大きな問題がある。それらは、同一原木から枝を接木したものなのであり、どれも今様の言い方をすればクローン種ということになる。ところが、果樹の場合、自家受精をしない、つまり「自家不結実」という性質を有している。他の種類のナシの木から蜜蜂等が花粉を運んでくれないと受精しないと言うことになる。品種によっては開花期が異なったり、天候の加減によってそれもままならないことになる。そこで、確実に受精させるために人工授精が行われることとなるのである。ナシ園で、その時期に長い棒を持った人が花々に受粉させている光景を良く目にしている。これも大変な作業だなと思う。
 ナシは、我が国の果物の中でも古い歴史を持っている。既に『日本書紀』にも登場しているほどである。持統天皇の時代に、五穀の助けとしてナシ等を植えることを奨励しているのであるから、日本人とナシのつきあいは古いということになる。当然『万葉集』にも詠まれている。『枕草子』や『源氏物語』にもナシは登場している。しかし、清少納言や紫式部が達が口にしたナシと私たちが食べているナシとでは、見た目にも、大きさも、味も大きく異なっている筈である。何しろ、「長十郎」種は明治26年に、「二十世紀」種は明治31年に、「幸水」は昭和16年に、「新水」に至っては昭和28年に、それぞれ登場しているからである。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今日は、4月上旬というのに26度を超す暑さとなった。そこで、ふと思いつきで、かつてオーストラリアで購入したCD”Pan Flutes With Nature:Ken Davis"を聴いた。オーストラリアの鳥の声、風の音、波の音、水の流れ等の自然音とパンフルートとの共演だ。現地の知人宅にお邪魔に上がった時に室内で流れていたのが聞き始めであった。パース市内のミュージアム・ショップで購入したCDである。価格は、オーストラリアドルで25ドル95セントだった。所謂リラクゼーション・ミュージックというジャンルに収められるCDだが、少しも邪魔にならない音楽である。パースには二度行ったが、西オーストラリア州の州都であり、インド洋に面した穏やかで美しい街だった。
水菓子の語源について調べてみたが、はっきりしなかった。次の2点だけが関連した事項について触れていたのでここに記載する。
 その1は、近藤浩文著『植物故事ことわざ』(保育社カラーブックス570)には、「ザクロ(石榴)」の項に
    「鎌倉時代には「水菓子」と呼び食べ、江戸~明治時代には盆栽仕立てで鑑賞するのが流行した。」
と記載されていた。
 その2としては大槻文彦著『新訂大言海』(冨山房刊)には
    「みづかしのき 核 すもも(李)ノ類ナルベシ。字鏡四十六「核、李梅の属、水加之乃木」
と記載されていた。
 因みに、『字鏡集』は鎌倉時代の漢和辞書である。
 果物を水菓子と呼ぶようになったのは、いつ頃からなのか、また、その始まりは特定の果物を意味したものか等について正確な情報をお持ちの方、ご一報いただければ幸甚です。
 H.21.04.10