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カタクリ(片栗)について
 今年も庭のカタクリが開花した。我が家の庭では、3カ所にカタクリを植えている。一つ目は、ロウバイアセビの植えられている植え込みの下であり、また、二つ目は、ドウダンツツジの根元であり、三つ目は、ヤマツツジの根元である。かれこれ30年以上同じ場所に定着したままである。さほど増えもしなければ、減りもしない状況にある。毎年、花後に種子を飛ばすので、周辺に散らばって一枚葉のカタクリが出て来る。カタクリは、ユリ科の植物だから単子葉植物なのである。一枚葉のカタクリは、二枚葉のものよりも幾分早く地表に顔を出す。また、葉の面積も幾分大きい。一枚葉のカタクリは、チューリップ等も同じだが花を見せることはない。たった一枚の葉で十分に光合成を行って地下の鱗茎に栄養を蓄えているのだ。ご存じのように、カタクリの葉が地表に出ている期間はとても短い。我が家の庭での観察結果では、3月上旬に芽を出し、5月のゴールデンウィークの頃には、もう葉が枯れて行くのである。これまたご存じのように、カタクリは落葉樹林の下に見られる植物である。したがって、落葉樹が葉を展開する頃には、もう地表から姿を消してしまうのだ。そうした短い期間だけに、少しでも多く光合成を行わなければならないので、一枚葉のカタクリは、二枚葉のものよりも、早く発芽し、葉の面積も大きくしているのだろう。概してカタクリは、自生地では群落となっている事が多い。やはり、花後に結実した種子が散らばるからであろう。ただし、カタクリの群落は、これまた概して斜面であることが多い。そこで、地表に落ち葉などがあることが好ましいのだろう。つまり、雨が降った時に、あの小さな種子が流れてしまうからだ。
 初めてカタクリの群落を見たのは、40年程前のことである。当時は、勤務先では、土曜日は午前中の勤務だけで終わりだった。その頃、植物の観察に夢中だったので、土曜日の午後には、真っ直ぐ帰宅することもなく、その日の内に帰宅できる範囲内での近郊の山に入っては樹木を観察して回っていた。丁度、春のお彼岸が終わったばかりの頃、いつものように車を飛ばして、埼玉県の寄居町の山に入ってみた。丁度、この辺りからずっとその先は秩父連山まで山が続くことになる。謂わば、秩父連山の入り口のような地である。地図を頼りに山の斜面を歩いていると、偶然、カタクリの群落に出会った。それまで、図鑑では目にしたことがあったが、実物に接するのは初めてであった。どうやら、雑木林だったらしい。というのは、ほとんどの樹木が切り倒されていたからだ。しかも切り株は未だ新しかった。一般的に、カタクリの群落の上には雑木林があり、まだ葉を開いていない裸の枝があり、そこを通して春の陽光がカタクリの葉に届くものである。しかし、上述のように樹木がすべて切り倒されていたために、地表はまるでむき出しの状態であった。山の北側の斜面で在った。初めてカタクリを直接目にした時の正直な感想は「美しい山草だな。」というものだった。あまり嬉しかったので、翌日の日曜日に、今は亡き母と妻とを誘ってその山に再び出かけてみた。一面のカタクリの群落に、二人とも目を見張っていた。今でも、私は、カタクリは我が国に自生する山野草の中でも美しさでは他にひけをとらないのではなかと思っている。
 記憶が曖昧なのだが、栃木県の鬼怒川温泉もしくは塩原温泉だったように思うのだが、そこで、山菜料理の中に、カタクリのお浸しと天ぷらが食膳に出たことがある。葉と茎の部分を調理したものだった。宿の人に、随分勿体ないことをするものではないかと、カタクリ・ファンの私は幾分抗議をするかのような口調で訴えたところ、片栗粉にするので採取したのだが、葉や茎を捨ててしまうのは勿体ないので、季節の山菜としてお出ししたのですという。そういえば、「片栗粉」はこのカタクリの鱗茎から得るのだと思い起こした。カタクリの鱗茎をつき砕いて、それを木綿布で濾して後に乾燥させてデンプンを得るのだと宿の人に教えて貰った。昔から、下痢などをした時に、滋養のために片栗粉は用いられてきたし、葉や茎は食用に供されてきたのだという。しかし、近年、カタクリも乱獲で、減少しつつあることを思うと、食べてしまうのは勿体ないと思ったものだった。それに、近年、「片栗粉」の名前で流通しているのは、本来のカタクリから得るのではなく、ジャガイモサツマイモから得られたデンプンなのだ。それにしても、あの小さい鱗茎からデンブンを得るには、随分たくさん掘り出す必要があろうと思われる。それに、我が家で何度かカタクリの植え替えを行ったことがあるが、カタクリの鱗茎は、かなり深い所にある。恐らく、地下25㎝前後の深さである、しかも茎は非常に細いので、なかなか大変である。
 ところで、様々な文献を見れば、カタクリの古名は「カタカゴ(堅香子)」と出ている。その意味は、<傾いた籠>である等と記載されている。カタクリの開花時に、花弁をすっかり反り返した状態の花姿は、<傾いた籠>とも見えなくはない。だが、今日和名として通用している「カタクリ(片栗)」の語源がどうもはっきりしない。
 『牧野 新日本植物図鑑』(北隆館)では、次のように記述されている。
 
「日本名:古名をカタカゴ、それからカタコの名も出た。これは傾いた籠状の花という意味であろうし、また、カタクリは片栗で、クリの子葉一片に似ているという意味であろうが、本種にはぴったりせず、むしろコバイモがこれらの性質をよく示すからカタカゴの名はそれからこれへ移ったものではないかという説がある。」
 分かったようなわからないような説明である。
 次に、別の説明をしている書に出会った。『朝日園芸百科13 球根編Ⅲ』(朝日新聞社)の中の<エリスロニウム>の解説記事中で、次のような文が目に留まった。
 
「片栗粉の名は、鱗茎の形が栗を半分にした形と似ているところから、つけられたと思う。」
という。一瞬、成る程なと、穿った考え方だなとも思った次第である。
 次に、毎度お世話になっている大槻文彦著『大言海』(冨山房)では次のような説明が見られた。
 
「カタクリ:片栗 <かたこゆりノ約> カタカコ。カタコユリ。」
個人的には、この説明が一番納得できた。つまりカタコユリからの転訛説ということになる。そして、「カタクリ」という名前に「片栗」という漢字表記を宛て字したのではないだろうか。そのように考えると、上の2番目の説は、漢字表記からの推量ということになろう。
 次に、いつ頃から「カタカゴ」が「カタクリ」へと変わってしまったのかについて調べて見たが、結論として、我が家のGKZ文庫の中からは関連した記事を見出すことはできなかった。そこで、そもそも「片栗粉」なるものの利用が、我が国ではいつ頃から始まったのかについて調べて見た。食文化史関連の書物を開いてみたが、こちらもはっきりとした記述を見出すことは出来なかった。
 カタクリは、可憐で独特な花姿を見せるが、我が国の古典にはほとんど登場しない。これも不思議な話だ。文学や歴史関連の書では、『万葉集』だけである。本草書関連でも、『大和本草』・『物類呼称』・『草木図説』・『本草図説』などだけしかない。『朝日百科 世界の植物』(朝日新聞社 P.2316)の中で、奥山春季氏が
 
「日本では『歌壇地錦抄』(伊藤伊兵衛、1695年)にのっており、庭園に植えて鑑賞されたことがうかがえる。」
と述べていた。そこで、平凡社から出されている『花壇地錦抄・草花絵前集』(東洋文庫288)を開いて見たが、私の調べ方が悪かったのか、何度も読み返してみたがカタクリの記述を発見できなかった。『花壇地錦抄』は、全4冊あり、それらを総称して一般的に『花壇地錦抄』と呼ぶので、私の持つ書には出ていないのかもしれないと思われる。ただ、奥山氏の言葉通りに、既に江戸時代には、庭に植えて鑑賞されるほどの一般的な草花であったカタクリは、何故様々な書に登場しないのだろうと不思議に思える。特に、短歌や俳句の世界で詠まれても良いと思うのだが・・・。講談社版の『日本大歳時記』には春の季語として登場しているが、掲載してある句はどれも現代に入ってからの作品ばかりである。等しく講談社から出されている山本健吉著『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫)では、季語にカタクリは含まれていなかった。
 『万葉集』こ詠まれていながら、たとえば『枕草子』等に登場しないのは何故なのだろうと訝しく思った。『万葉集』に出て来るカタクリを詠んだ歌とは
 
物部(もののふ)の 八十少女(やそおとめ)らが汲みまがふ 寺井の上の堅香子(かたかご)の花
であり、大伴家持の詠んだ歌である。しかも、集中に、カタクリを詠んだ歌はこの一首だけなのである。大伴の家持がこの歌を詠んだのは越中(現富山県)であった。大貫茂著『花の万葉集』(グラフィック社)では、次のように述べている。
 
「『万葉集』に登場するのは大伴の家持が越中で詠んだこの一首のみ。北方植物だけに万葉人の目に触れる機会が少なかったためであろう。
 大貫氏の指摘の通りなのであろう。カタクリは、我が国では北海道から九州まで分布するという。しかし、四国や九州ではなかなか目にすることは少なく、概して本州中部以北に集中しているようである。したがって、近畿地方に文化の中心があった頃には、カタクリを知る人も少なかったのだろう。実物を目にする機会も少なかったのであろう。今でこそ、交通機関が発達し、加えて各種のメディアも発達し、山野草ブームの中で、人々は、写真で、或いは、実際の群落するカタクリを目にして知ることが出来るようになったとも言えよう。私が、カタクリが何故古典に登場しないかと訝しく思ったのは、近くに、あちこちとカタクリの群生地が存在するような地域に住んでいるからなのかもしれない。因みに、上掲の大伴家持の歌以外で、江戸期以前の作としては、細かく探してみても次の二首だけのようであった。
 
あずさゆみ春の山べに子供らと摘みしかたこを喰べばいかがあらむ 良寛
 
妹かくむ寺井のうえのかたかしのはなさくほどに春ぞ成ぬる 藤原家良(『新撰六帖面-六』
 俳句の世界では、江戸期には作例が見られなかった。
 つまり、カタクリは、現代に入ってから注目され出した野草と言えよう。
 カタクリの仲間(エリスロニウム)はアジア・北米・ヨーロッパ、つまり北半球におよそ25種が存在するという。 我が国のカタクリの学名はErythronium japonicumである。我が国には、この1種だけが存在することになる。属名のErythroniumとはギリシャ語のerythos(=赤)を語源としている。ヨーロッパに赤色の花を見せる種があるからという。だが、未だに赤色のカタクリにはお目にかかったことがない。アメリカにはキバナカタクリがあるがこちら鮮やかな黄色で風情があるが、個人的にはやはり我が国の紅紫色のカタクリが好きである。
 カタクリは英名ではDogtooth Violetという。直訳すれば、「犬の歯のような花を見せるスミレ」ということになる。ドイツ語ではHunds-Zahnlilieとなり、こちらも直訳すれば「犬の歯のような花を見せるユリ」ということになる。花弁の先端が尖っていることからだろう。面白いことに中国語では「猪牙花」という。こちらは、犬ではなく猪になっているが、目の付け所は同じようだ。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、春らしく穏やかな一日だったので、二枚のCDを聴いた。一枚はJourneys of Fluteともう一枚はFluteDremasというタイトルのCDである。前者はモントリオール空港で、後者はバンクーバー空港で購入したCDである。まるで予備知識もなく購入したのだったが、穏やかな音色と旋律が私を虜にしてしまった。フルートと云っても、実際はリコーダーである。リーダーのAlice Gomezが演奏している。これに、独特な雰囲気を醸し出すマリンバ、そして、原始的な響きを出すパーカッションが加わるトリオ編成である。リコーダーも、パーカッションも曲に応じて異なる楽器が選ばれている。また、マリンバの代わりにシンセサイザーも用いられている。どうやら、名前からして、リーダーのアリス・ゴメスはメキシコ或いは南米の出身なのだろうか。それぞれの曲は、メキシコからアンデス地方にかけての古代文明に寄せた表現となっており、現代文明に対する「反文明」をアッピールしているように受け止められる。そうしたメッセージ性が含められているとは言え、激しさが感じられない曲ばかりだ。どれもアリスのオリジナルのようである。
 H.22.03.28