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植物の移動について
 それぞれの植物の原産地を調べていると、随分色々な国から我が国へ渡来しているものと驚いてしまう。人為的にもたらされたものや、自然の営みがもたらしたものと、その経緯は様々であろう。
 我が家の庭の一郭に、カナダの山野草のコーナーがある。ある年、カナダの知人がWild Flower in Canadaと書かれた植物の種子を一袋送ってくれたのだった。果たして、それが良いことなのか、悪いことなのかわからないままに、庭に播種したところ、良く育ち、毎年目を楽しませてくれている。その年の前年には、オーストラリアの知人が同様に山野草の種子を送ってくれたが、そちらは、我が家の庭には定着することはなかった。
 以前、このコーナーにコウリンタンポポについて記述したことがあるが、いずれにしても人為的にもたらされたものが多いのではないかと推測される。以下に、そうしたあれこれを思いつくままに記述してみたいと思う。
 ある年、偶然に、カナダ産のヒマワリと、スペイン産のヒマワリの種子が、別々のルートから我が家に届いた。おもしろ半分に、両者を同時に播種をしてみた。そしてどちらが大きくなるかと興味本位で眺めていたが、カナダ産のヒマワリの方が、草丈も大きく花も豪快であった。晩秋になると、野鳥が、どちらの種子も見事に食べ尽くしてしまったのには恐れ入ったものだった。カナダの送り主にその旨メールを送ると、「そうですか、日本では野鳥ですか。カナダでは、リスが皆食べてしまいます。だから、毎年、種子は購入しているのです。」という返信が帰ってきた。ヒマワリの種子に限らず、リスには、様々な被害を被っているとも述べていた。リスに関しての話題はさておき、カナダ産とスペイン産の種子が、同時に我が家の庭に存在したということは、やはり、人的な交流があったればこそと考えられるのである。
 ハワイ大学に勤務する知人を訪ねた際に、現地の植物を見ていると、かつて訪ねたことのあるシンガポールやバンコク或いはバリ島等の植物が想起されたものだった。知人に尋ねて見ると、「ハワイは、元々が珊瑚礁であったので固有の植物というものはなく、そのほとんどが人為的に外国からもたらされたものである。」というような返事が返ってきた。言われてみれば、確かにその通りであるとも納得したものだった。特に、人家や建造物の周辺に見られる植物を見ると、明らかにそれが人為的に持ち込まれたものという印象を強く受けたものだった。そして、東南アジア諸国の植物が随分多い点にも、それだけアジアとの交流、或いは、東洋人が多くハワイには移住もしたのだろうかと思った次第である。
 ある年、オーストラリアのかなり内陸部の牧場主の家に滞在したことがあった。我が国とはまるで何もかもスケールのことなる地であった。その牧場主宅の敷地たるや、縦が4q、横が5q程度と言うことであった。我が国の小さな市や町がすっぽりと収まってしまう程の広大さである。お隣のお宅までは、10q以上も離れていた。その牧場主の家屋の前に、ツバキが数本植えられていたのを目にした時に、思わず日本を懐かしんだものだった。そして、日本特産のツバキが、赤道を越えた南半球の地にあることに、びっくりもしたものだった。我が国に、南アフリカの植物が存在しても、少しも不思議はないのだなと実感したものだった。そう言えば、今からかれこれ30年ほど前に我が国でツバキのブームが起きたことがあった。我が国古来のツバキに加えて、新たな園芸品種がたくさん登場し話題を呼んだものだった。特に、花形が一際大きいことと花色が鮮やかであることなどが特徴とされたが、如何にも欧米人の好みそうな品種がたくさん登場したのであった。園芸界での説明では、アメリカとオーストラリアでの品種改良が大きく影響して、それらが逆輸入されたことによるとのことだった。ツバキと言えば、どことなく「侘び・寂び」の世界と切っても切れない印象を強く受ける植物であったが、当時人気を博したツバキの新品種群は、どれも豪華で華やかであったように記憶している。それらの品種改良が行われたのがオーストラリアとなれば上述の牧場主のお宅に見られても何等不思議はないことになる。それでも、オーストラリアで、しかも大都会ではなく、かなり内陸部に入った地でツバキを目にした時には、やはり感慨深いものが心中に湧いてきたことは確かであった。
 上に、オーストラリアでツバキを目にしたことについて触れたが、彼の国では、動植物の持ち込みに関しては、とても厳格である。特に、税関で、食べ物の持ち込みが見つかると、その場で没収されてしまうのだ。私の知人が、梅干しを持参したところ、それが見つかり、没収と言われたので、自分にとっては、それは「薬」なのだと告げたところ、果肉の持ち込みは許可するが、種はこの場で全部取り出してからでないと空港を出さないと言われたということである。オーストラリアは、大きな大陸ではあるが、他の大陸とは孤立した存在だけに、しかも歴史の浅い国でもあるだけに、様々な病原菌や細菌に対する免疫が出来ていないために、人間ばかりではなく、動植物にも大きな影響がもたらされるからと現地の知人が語っていたものだった。そうした経緯を知っていただけに、我が国のツバキを現地で目にした時に、大いに驚いてしまったのだった。
 カナダには、何度か出かけたが、特に印象に残ったのは、我が国でお馴染みのギボウシヘメロカリス(所謂キスゲの仲間)、シャクヤクの3種であった。何処の公園に行っても、或いは、人家の植え込みにも必ず目にしたものだった。前2者に関しては、全米ホスタ協会、全米ヘメロカリス協会といった団体があり、たくさんの人々が品種改良に取り組んでいる関係で、栽培している人も多いのだということだった。ところで、カナダの東部地区に、フランス系の移住者の多いことで知られているケベック・シティがあるが、そこには、パリのモンマルトルのような場所があった。たくさんの画家、或いはその卵的な存在の人々が、たくさん集まって、路上に自分の作品を陳列して道行く人に販売していた。また、その場で似顔絵等を描いたりもしていた。そうした中に、シャクヤクの絵ばかりを描いている画家がたくさん多いのにはびっくりしてものだった。シャクヤクは中国が原産と思っているのだが、何故、カナダ人にそれほど好まれるのかを疑問に思ったものだった。カナダ人にその理由を尋ねてみたが、「誰だってカナダ人なら、シャクヤク(peony)が好きだ。理由?それは美しいからに決まっているじゃない。」という返事しか帰って来なかった。それにしても、いつ頃シャクヤクはカナダに渡ったのだろうか。また、何故、カナダの人々はシャクヤクが好きなのだろうかと今も疑問に思っている。(因みに、カナダのジャンヌ・ダルク公園で目にしたシャクヤクの写真を草本植物のページに掲載してあるので、関心のある方はそちらをご覧下さい。→シャクヤクの頁へ
 インドネシアのバリ島には2回ほど出かけたことがある。ホテルの朝食は、いつもアウトドアのテーブルで済ませたものだった。すると、テラスのパーゴラから垂れ下がっている淡い青紫色の花をつけた蔓性の植物が印象に残った。ホテルの従業員に名前を聞いてみたが、私は現地語は不可能なので、英語で問いかけたものだから、英語で何というのかは分からないと言う返事が返ってきた。しかし、どうしても名前を知りたくて、内外の図鑑を開いてみたりもしたのだったが、ついに分からず終いとなってしまった。やはり、写真から、植物名を探すのは無理かとほぼあきらめかけていた頃、沖縄に出かけたのだった。かつて海洋博覧会が行われた場所は、現在は国営公園になっていた。その中に、「熱帯ドリームセンター」という素晴らしい植物園がある。私も、同行した妻も初めての植物園なので興味深く足を進めたものだった。すると入園して直ぐに、二人とも同じ壁面を指さして「有った!」と叫んでしまったのだった。そこには、永いこと植物名を探していたバリ島で見た蔓性の植物が壁面から垂れ下がっていたのだった。やっと名前が分かった。ベンガルヤハズカズラという植物であった。帰宅後、再び内外の図鑑を開いてみると、しっかりと掲載されていた。因みに、英名は、オーストラリアで発行された図鑑ではSky Flowerと出ていたが、イギリスで発行された図鑑では、Blue Trumpet Vineと出ていた。名前が分かりさえすれば、色々と調べることが出来る。ネット上で調べると、国内のあちこちの植物園で栽培していることがわかった。やはり、この植物も人為的にもたらされてものと思われるのだった。(因みに、ベンガルヤハズカズラもこのホームページの草本植物の中に収められているので、関心のある方は、ご覧下さい。ベンガルヤハズカズラの頁へ→
 ずっと以前に読んだ書物の中に、「カンアオイが自然に移動するのは、1万年に1q程度である。」と記述してあった。その書がどの書であったのか、今ではすっかり記憶されていない。また、その記述内容の真偽の程も確かめていない。ところで、新潟県の弥彦神社を訪ねた際に、現地の知人からカンアオイを数株いただいたことがある。我が家に持ち帰り定植したところ、もう30年ほど我が家に定着をしたままである。、もし本当に1万年に1q程度の移動速度とすると、100万年以上の移動をほんの一日で済ませてしまったことになる。これなどは、何処かの誰かでなく、私自身が植物を移動させたことになろう。コシノカンアオイの頁へ→
 いずれにしても、人的な交流があれば、植物も移動するものだと思う。かつて、遣唐使が隣国からウメを持ち込んだ時代と相違して、人々の移動の量は増加し、テンポは速まってもいる。それだけに、植物も大量に移動しているものと思われるのだ。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、ホルストの作曲した『組曲・惑星』を、富田勲の演奏するシンセサイザーで聴きながらタイピングをした。音源はカセット・テープからでした。随分昔に録音したものだが、未だに爽やかな音色で、これをレコードから録音した頃を想起するかのようだった。
 H.20.12.20