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キュウリ(胡瓜)について
 子どもの頃から目にし、また、食べてもきた野菜の一つにキュウリがある。このキュウリも、子どもの頃と比べると様々な変化があったように思う。 
その1:「夏野菜」から「周年野菜」へ
 昔は、キュウリは、夏場の野菜だった。だが、今では周年店頭に並んでいるいるようになってしまった。これは大きな変化と言えよう。何もキュウリに限ったことではないが、野菜や果物、そして花卉の類は、この頃では「旬」であるとか、「端境期」であるとかいった感覚が無くなってしまったように思う。つまり、季節感が無くなってしまったということになる。昔は、その年に初めて採れた野菜の場合、「初物」と言って有り難く食したものだった。そして、もうそんな時期になったのかと、しみじみと時の移ろいを感じたものだった。だが、そんな感覚は今ではすっかり消えてしまって、スーパーの野菜のコーナーには一年中お目当ての野菜が並んでいるのだ。昔は、キュウリの初物は河童のために川に流したというが、今では、どれをとって初物と言えるか流す人間の場合には悩んでしまうことだろう。逆に、河童の側からすれば何度もキュウリの初物が流れて来るのでたすかるということになるのだろうか。
 戦後間もない頃、ご飯の御数(おかず)に決まって登場したのが漬け物だった。そして、夏の漬け物の定番は、キュウリとナスだった。両者共に糠漬けや塩漬け(当地では「塩押し」と言っていた。)にされた。そして、冬場の漬け物の定番は何と申してもダイコンハクサイだった。糠漬けの場合には促成漬け物と言った感じが強いが、塩漬けの場合には、長期保存が目的だったと言えよう。そうした観点からは、最近では、糠漬けこそは現役だが、塩漬けはあまり行われなくなってしまった。それは、恐らく、キュウリを一年中欲しい時に欲しいだけ入手が可能となったためではなかろうか。そして、そのために、一般家庭で漬け物をするという行為が行われなくなってしまったとも言えよう。加えて、近年、高血圧予防の観点から、塩分控え目の食生活へと変化したことも大きな要因かもしれない。上に糠漬けこそは未だに現役であると述べたが、糠漬けの場合には、その日、或いは翌日食べるに必要な量だけ糠床に入れればよい。しかも、容器は甕ということになる。ところが、塩漬けの場合には樽漬けである。そして、長期保存が目的であることから、一度に大量の野菜が必要となる。ところが、あの大きな樽は場所をとる。加えて樽一杯のナスやキュウリを購入してくるということは大変なことでもある。昔は、ほとんどの野菜は自給自足でもあった。そこで、大量に収穫された野菜を漬け物の形にして保存しておき、野菜が採れない時期にも、必要に応じて取り出すことが可能となったと言うことも言えるのではなかろうか。いずれにしても、自家栽培の野菜を、これまた自家製の漬け物として楽しむという食生活は今ではそれこそ贅沢な在り方と言えるのかもしれない。それに、樽漬けもそれなりに大変な作業でもある。そんな思いをしなくても、漬け物は、スーパーの棚に幾らでも並んでいるので、買ってきてしまったほうが手っ取り早いということなのだろう。
その2:栽培方法の変化
 上には、漬け物との関係でキュウリが夏野菜から周年野菜へと変化してしまったと述べた。当然そこには、栽培方法が変化したことが大きな要因として認められる。昔は自家栽培だったとも上述したが、キュウリの場合には、二通りの栽培方法があった。現在のように支柱を立てて、蔓性の茎を上に伸ばして育てる方式と、支柱等立てずに地面を這わせる方式とである。後者は、私の住む地方では「のたりキュウリ」と呼ばれていた。つまり「地這いキュウリ」のことである。この地這いキュウリの場合、キュウリもウリ科の植物であるから、本来的な栽培方法なのかもしれない。しかし、栽培する土地の面積を必要とする。上に伸ばした方が遙かに空間を利用するために必要面積は少なくて済むことになる。加えて、茎を上に伸ばした方が、立ったままでの作業で済むので楽である。地面に結実した場合、葉に隠れて見えなくなってしまい、取り忘れられたキュウリが熟して黄色くなってしまっていたことも何度も目にしている。
 だが、そうした平面・空間の相違点よりも、キュウリの栽培方法が画期的な変化をしたのは、やはり、ビニール・ハウスの登場と言うことであろう。ハウス栽培とか、雨除け栽培とか呼ばれるこの栽培方法が登場することにより、ほとんど露地栽培が消えてしまったのだ。ビニール・ハウスは昭和四〇年代頃に急激に普及している。鋼材のパイプを骨組みにして、外側を農業用塩化ビニールで被ってしまうタイプである。骨組みに使用するパイプの場合、溶接等の手間も要らず、ビニールもガラス等と比較すると軽量であり、取り扱いも容易である。そこで、専門家でなくても設置が容易と言うこともあり、大いに普及している。加えて、ビニールが透明なために、温室効果がある。これに暖房装置がつけば、夏場以外にも立派に夏野菜も栽培が可能となる。室内栽培のために、外気とは遮断されているので、温度管理も容易である。他にも多数のメリットがあるが、とにかく、このビニール・ハウスによる栽培が普及することによる、キュウリも周年野菜と化したと言えよう。
その3:見た目の変化(品質の変化)
 昔のキュウリと比較して、今のキュウリは見た目にも変化しているように思える。何よりもキュウリの持ち味である表面の緑色が鮮やかである。加えて光沢すら見られる。見た目だけでも新鮮さが浮き立っているように見える。昔のキュウリのように果皮の表面に白粉がふいているというようなことはない。昔のキュウリには、「白イボキュウリ」と「黒イボキュウリ」とがあったが、この頃のキュウリは、どうやら「白イボキュウリ」が主流のようである。そして形状的にも二つの変化が見られる。その一つには、先が曲がったキュウリが無いと言うことだ。消費者も真っ直ぐなものを好むが、販売する側でも、店頭に並べる上で真っ直ぐなキュウリを求めるという。次に、大きさ・太さの上で昔よりも小さく、そして細くなってしまったと言える。このことは、昔のように自宅で漬け物を行わなくなってしまったことと関係がありそうだ。今日、キュウリは漬け物としてではなく、サラダ等の生食に用いられることが一般的である。食べやすい大きさというものがあるのだろう。そもそもキュウリという野菜は他の野菜と異なり、果実が熟す前の成長途上のものを収穫して市場に回され、消費者はそれを食べていることになる。そこで、小さいほど軟らかくて美味しいという感覚が伴っているのだろう。人間の小指程の細いキュウリが販売されているのをよく見かけるが、明らかにこれなどは生産する側の事情からではなく、消費者の側の好みに生産者が応じたということになろう。最も小さいキュウリでは、刺身等に添えられている「花丸キュウリ」だ。まだほんの小さな果実ができたてのものを収穫したものだ。それには、黄色い花もついていて、彩りも賑やかになる。キュウリの太さと言えば、話が脱線して恐縮だが、欧米の野菜売り場にいってみると、その太さに、重さに、それこそ驚くことになる。日本での上述のような細いキュウリばかりを見慣れているだけに余計にその太さにびっくりしてしまう。上に、キュウリは果実の成長途上のものを食用にしていると述べたが、それだけに、キュウリの種子を見ることもなくなってしまったとも言えよう。
その4:見た目の変化:ブルームレス・キュウリの登場と普及
 キュウリの見た目の変化ということでは、「ブルームレス・キュウリ」の出現ということが挙げられよう。昔のキュウリには、果皮の表面に白粉をふいたようなものが見られた。専門家はこれを「ブルーム」と言っているが、これは「毛耳(もうじ)」の一種だが、成分はケイ素とカルシウムということである。昔の消費者は、キュウリを手で触れてみて果皮についている幾分痛みが感じられる程度のものが新鮮であると判断したのだった。そして、目で見た判断材料は、果皮の表面が白い粉で被われていることこそ新鮮であることの証しと受け止めたのであった。だが、その見た目での判断材料だった白粉に関して、それは農薬ではないか等との不信感が消費者の側に生じるようになってしまった。その結果、果皮に白粉、つまり、ブルームの見られるものが敬遠されるようになってしまった。そこで開発されたキュウリがブルームレスのキュウリということになる。これによって、見た目にも鮮緑色で、如何にも新鮮な感覚を持ったキュウリが店頭に並ぶようになったのだった。
その5:味の変化
 昔は、キュウリを食べていると、苦味を感じることがあった。今のキュウリはそんなことはない。特に、キュウリの頭の部分に苦味があった。そこで、昔は、キュウリを生食する場合には、頭の部分を切り捨てて食べたものだった。今は、そんなことをしなくても、苦味のないキュウリが市場に流通している。また、上には近年のキュウリは鮮緑色になったと述べたが、色ばかりではなく、味覚の上でも瑞々しさを感じられるようになった。昔のキュウリは、幾分青臭さを感じたものだが、そうした傾向も大分和らいでいるように思える。上述のようにキュウリは未成熟のものを収穫するために、青臭さを完全に消すことは無理があるのかもしれない。キュウリの場合、他の野菜と相違してこれこそキュウリの味といえるものが無い点に特徴があるのではなかろうか。そのことは、サラダ等に用いた場合にも、他の野菜の味を消すことがないということになる。近年の食生活の上ではたくさんのサラダ・ドレッシングが市場に出回っており、どちらのご家庭でもたくさんの種類のドレッシングが冷蔵庫の中に入っているのではなかろうか。キュウリの場合、没個性的な味のために、そのドレッシング味を引き立てることにもなっている。キュウリは、ニンニクネギなどのように強い香りも持たない。これもキュウリの特徴なのかも知れない。
 キュウリの味ということでは、何と申しても「歯ごたえ」ではなかろうか。この歯ごたえに関しては、昔からキュウリを食べてきた人間、つまり、私のような高齢者にとっては、大きな変化を感じる。それは、今時のキュウリは、果皮部分が堅くて中身が軟らかいということだ。この点では幾分違和感を伴うのは私一人だけの感覚なのだろうか?これは、上述のブルームレス・キュウリの特徴なのだが、特に、漬け物にした時に多くそれを感じる。このことは、歯ごたえだけでなく、漬け物にした時に、味の染み込み方が良くないようなのだ。どうやら、漬け物には、昔のブルームのあるキュウリの方が適しているようなのだ。逆に言えば、ブルームレス・キュウリは、漬け物ではなく、生食に適したキュウリと言うことになるのかもしれない。
 歯ごたえという点では、もう一つ、しなびたキュウリを見なくなったということである。つまり、果実から水分が失われ、表面が皺のようになったキュウリが見られなくなったということだ。キュウリの持ち味は水分をたくさん含んでいるということだろう。それだけに水分が失われつつあるキュウリは少しも魅力がないということになる。見た目にも魅力が無いので、消費者は何方も手を出さないであろうし、もし、食べて見た場合には、がっかりすることであろう。そこで、生産者の側では、そうした品質劣化を防ぐ生産技術を向上したものと思われる。また、そうした劣化が少ない品種が選出されても来たのではなかろうか。
 上にはキュウリの今昔での変化した点を一消費者という観点から述べてみたが、生産者の方々が述べたら、まだまだ消費者の側では知ることの無かった様々な変化を列挙されるに違いない。
 ところで、キュウリの場合、他の野菜と比較して、幾つかの特徴があるように思える。先ず、たとえば、ナス等の場合、品種によって色・艶・形状等に大きな区別点があるが、キュウリの場合、我々消費者側からすれば、品種の区別がつかないということが出来よう。種や幼苗の販売されている場所では、各種の品種名が書かれた名札がついているが、その名札に掲載されている写真を見ると大同小異のように思える。また、トマトでは、近年フルーツ・トマト等と呼ばれるトマトの場合、甘味が強くなっているが、キュウリに甘味がついたり、或いは渋味がついたりはしないのもキュウリの特徴である。つまり、どれを買ってきても間違いのないキュウリの味がするということで、当たり外れがないということにもなる。更に、トウガラシの1種であるパプリカのように赤や黄色といった色彩的な変化もキュウリには見られない。また、ミニトマトのような形状的な変化もキュウリには見られない。もし、キュウリに味がついたり、表皮に色彩が加わったり、ミニトマトのような小型のキュウリが登場したら、これまたキュウリの用途が変化するのかもしれない。調理の上でも、キュウリはあまり変化がない。昔も今も、生食が主流だ。煮たり、焼いたり、炒めたりといった加熱調理をしないのもキュウリの特徴である。たとえば、煮込んだとしても、キュウリには調味料の味が染み込んで行かないのではないだろうか。
 キュウリは、我が国では「胡瓜」と漢字表記される。だが、お隣の中国では「黄瓜」と表記している。「胡瓜」は中国における古名と言うことになる。そして、我が国の古名では、カラウリ(加良宇利)、ソバウリ(曽波宇利)と言ったようだ。ここで、面白いことに気づく。お隣の中国では、自国に自生する植物には漢字一文字を充てるのが通例であるが、「胡瓜」とか「黄瓜」と言うように二文字を用いて表記しているということは、中国の人々にしてみれば、それが他国からの渡来植物ということを意味していることになる。「胡瓜」の「胡」とは、「胡桃(クルミ)」や「胡椒(コショウ)」にも見られるが、ペルシャを意味している。つまり、中国の人々にしてみれば、「胡瓜」とは、<ペルシャから渡来したウリ>ということになる。ところが、我が国の古名ではカラウリと言ったということは、つまり「唐瓜」であり、これまた日本人にしてみれば、<中国から渡来したウリ>ということになる。もちろん、どちらも間違いはないのだが、考えようによっては、中国の人は、キュウリとはペルシャに自生している植物であり、日本人にしてみれば、中国に行けば野生のキュウリを見られるかのような錯覚を受けてしまう。だが、キュウリの原産地とは、どうやらヒマラヤ山麓と言うことのようである。
 また、キュウリが我が国に入って来た頃には、既に漢字表記は「黄瓜」だったものと推測される。というのは、「黄瓜」を訓読してキウリとなったと考えることは容易だからだ。もし、「胡瓜」として入って来たとすれば、キウリではなく、<コウリ>となっていたのではなかろうかと推測されるのだ。敢えて「胡瓜」を「キュウリ」と訓読するには無理がありそうだ。しかも、キュウリは、黄色に熟す果実であるので、「黄瓜」と表記されても少しも違和感はない。
 「キウリ」がいつ頃から「キュウリ」になったのかと言う疑問が残る。今日の国語事典ではほとんど「キュウリ」の見出しで登場しており、「キウリ」の見出しもあるが、解説は無く、<キュウリを見よ>となっている。もちろん、「キウリ」が「キュウリ」へと転訛してしまったことは推測に容易だが、その転訛がいつ頃なのかを知りたかったが、厳密な時期を特定できなかった。ただ、そんなに昔の話ではないよう内容に思える。大槻文彦著『大言海』(冨山房)での見出しは「キウリ」となっていたからだ。
 我が国の古典では、史学や文学関連の書にはキュウリは登場していない。だが、本草書関連の書物には多数登場している。ただ、それらには、「黄瓜」ではなく、「胡瓜」として登場している。これも不思議な話だ。上述のように、お隣の中国では、隋の時代には既に「胡瓜」から「黄瓜」へと表記が変化してしまっているからだ。この変化の事情については、毎度お世話になっている加納喜光著『植物の漢字辞典』(東京堂出版)には、次のように出ていた。
 
黄瓜 元の名は胡瓜(中略) 胡瓜の名で六朝時代に登場するが、隋の煬帝が識(予言)に「胡」の字があったため、不吉として(昔、秦の始皇帝が「胡」が国を滅ぼすと予言された)、胡瓜を黄瓜に改めたという。 今日の我が国での「キュウリ」と仮名表記して、漢字では「胡瓜」と表記する在り方には、幾分無理があるのではなかろうか。「黄瓜」と漢字表記して、「キウリ」と読む、これならばすっきりするのだが、今更「キュウリ」と転訛してしまったものを、「キウリ」に戻せと、私一人が叫んでも、元には戻らないであろう。だが、「胡瓜」を「黄瓜」へと漢字表記を変えるのは可能ではなかろうか。ただ、それでは、歴史的な経緯が消えてしまうと言うことで、「胡瓜」と今も表記しているのだろうか。
 インド西北部のヒマラヤ山麓を原産地とするキュウリは、既に3千年以上も前から栽培されていたのだという。インドを中心にして、キュウリは東西に伝搬して行った。先ず、西側では、紀元前1750年頃には古代エジプトに、南欧には紀元前後、フランスには9世紀頃に渡っている。ヨーロッパ各地では、16世紀頃にキュウリの栽培が盛んとなっているという。ヨーロッパではピックルス型のキュウリ、つまり漬物用のキュウリが開発され栽培されている。
 一方、東側では、中国へは紀元前2世頃に渡り、6世紀頃には栽培が一般化していたという。我が国へは、中国から9~10世紀頃に渡来しているが、ウリ類の中では最下等扱いを受け、あまり普及を見なかったという。本格的な栽培が始まるのは、我が国では17~18世紀頃からだという。
 新大陸のアメリカには、16世紀頃に渡っている。
 英語ではキュウリはご存じのようにcucumberという。フランス語ではconcombreという。この両者は、キュウリのラテン語名cucumerを語源としている。やがて、13世紀頃に、フランスでは現在のconcomreへと変化している。このフランス語が、15世紀頃に英語の世界に入りcucumberとして変化し、現在まで定着していることになる。
 ドイツ語では、キュウリはGurkeである。これは、上述の英仏とは語源を異にすると推測するに易い。こちらは、ラテン語からではなく、ギリシャ語の Aōros agouros(未熟なキュウリ)が語源という。 キュウリが西洋でも、熟していない未熟なものを食していたことが理解できる。(以上、西洋の言語に関しては、内林政夫著『西洋たべもの語源辞典』(東京度出版)から引用している。)
 現在、我が国では、栽培され、また、流通している果菜類ではキュウリは、ダントツ一位の生産量ということである。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、オーストラリア出身のギタリスト、ジョン・ウィリアムスのギター演奏を聴いた。彼は、オーストラリア人の父親と中国人の母親との間に1941年に生まれている。私とほぼ同年齢である。クラシック・ギターの世界では第一人者と言える存在ではなかろうか。随分昔に、NHK・FMで放送されたものをエア・チェックしたカセット・テープが音源である。演奏内容は、バッハのシャコンヌ、タレルガのアルハンブラの思い出、グラナドスのスペイン舞曲等である。
 H.22.04.10