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クワ(桑)について
 子どもの頃には良く目にしたが、近頃ではまるで姿を消してしまった植物の一つにクワを挙げることが出来る。クワは、小・中学校の登下校時には、あちこちの畑で目にすることが出来た樹木である。近年、我が国では養蚕農家が急減してしまったということが原因であろう。ところで、子どもの頃いつも目にしたクワは、毎年枝が刈り取られてしまうので、樹高はせいぜい2m前後までであった。私は、毎年、そうしたクワを見ると、クワの枝というものは一年で随分伸びるものだなと思ったものだった。また、もう一つ、もし人間が刈り取らなければ、果たしてどの位まで大きくなるのだろうとという疑問も持った。そして、大人になって、植物に関心を持つようになってからは、野生のクワは一体どのような樹形となるのだろうという疑問も持つようになった。残念ながら、私は未だに野生のクワを目にしたことがない。
 我が家では、毎年、栃木県の鬼怒川温泉に出かける。鬼怒川温泉からは、竜王峡を経て、大笹牧場に立ち寄り、霧降高原に向かう。霧降高原からは、日光市内に向かうのだ。ワンパターンな行程だが、それがお定まりのコースになっている。今では、鬼怒川温泉も日光市に合併しているが、以前は藤原町と云った。その藤原町と日光市との中間に栗山村があった。(栗山村も、今では藤原町と同時に日光市に合併している。)その栗山村を車で走っていると、3~4m程度の大きなクワが道路沿いに見られた。それを毎年見ながら、心の中で、養蚕を行わなくなってしまったのでクワも放置され、こんなに大きくなってしまったのかと思って過ごしていた。かなりの大木になっており、株元はかなりの太さに見えた。また、群馬県の沼田市から丸沼・菅沼を越えて、金精峠を抜けて日光に向かう道、通称「トウモロコシ街道」がある。そこでも、栗山村と同様の大きなクワを目にする。トウモロコシ街道では、沿道で地場産の農産物や山採りの山菜やキノコ等が販売されている。特に秋に行ったときには必ず車を停めてキノコ等を買って帰るのが楽しみとなっている。ある年、地元の方に、例のクワの木について聞いてみた。クワも放置するとあのように大きくなってしまうものなのかと。すると、地元の方は、これは放置したのではなく、意図的に大きく育てたものだという。平地と相違して、冬場はやはり寒さが厳しく、春の訪れも遅くなる。そこで、平地のクワのように樹高を低く押さえてしまうと霜害にあってしまい葉が使い物にならなくなってしまうのだという。この地元の方の言葉に、それまで自分が思い過ごしてきた「放置されたクワ」という認識を改めざるを得なかった。そして、自分のそれまでの浅はかな思い込みを恥じ入らざるを得なかった。地元の方の話では、梯子や脚立を用いてクワの葉を摘んだのだという。昔の人は知恵があったと感心もし、また、大変な労力だったろうなと思った次第である。
 その後、辻井達一著『日本の樹木:都市社会の生態誌』(中公新書)に次のように記述されていることを知った。
 
「ヤマグワの学名の一つ、Morus bombycisは、カイコの学名Bombyxから来ているが、通常は養蚕には用いられない。しかし、栽培桑の発育が不良で飼料が足りないときには、ヤマグワもまた用いられた。ことに霜の害に強いことから、養蚕地帯ではヤマグワを山地に植えておき、栽培桑が被害を受けた場合の予備とした。ヤマグワは晩霜の時期にはまだ発芽していないし、山地のほうがかえって霜害が割合に少ないことからである。」
 
この文章に出会って、上述の栗山村のクワもトウモロコシ街道で見たクワも、両者共にヤマグワなのではないかと思った。私は、冒頭に「私は未だに野生のクワを見たことがない。」と述べたが、もし、推測通りに上の二例のクワがヤマグワであるとすれば、冒頭の言葉を訂正しなければならないのかもしれない。
 沖縄に出かけた際に、バスガイドさんが、「沖縄の植物名は簡単で頭に<シマ>をつければ良いのです。」といって、「ほら、そこにクワが生えているでしょう。これはシマグワです。」と説明していた。確かに、沖縄の植物名にはシマという接頭語のつくものが多い。ところで、沖縄から帰宅して、シマグワについて調べて見た。私は、上述のバスガイドさんの言葉が印象に残っていたので、シマグワというものは沖縄の特産種と思っていた。先ず学名を調べると、Morus australis Poir.だった。種小名を表すaustralisとは「南方系の」の意であるから、益々沖縄特産種と思い込んでしまった。『朝日 植物百科』(朝日新聞社 P.1888)には、シマグワの学名について、次のように出ていた。
 
「種小名のアウストラリスは「南の」ということで、フランスの植物学者ポアレが1796年に、南半球のマダガスカル島の東にあるレユニオン島に栽培されていた標本につけた名である。」
この文を読んで、沖縄だけでなく分布域はもっと広いのだが、南方系の植物であることに相違はないと自信を強めたものだった。だが、同書、同頁には次のような記述が目に入った。
 
「ヤマグワ(Morus bombycis koidz.)は、シマグワM.australis Poir.にごく近いので、同種とする見解がある。」
 
念のためにと他の書も数冊開いて見たところ、どれもヤマグワの学名はMorus australis Poir.と記載されていた。となると、シマグワとヤマグワとは同じ植物と云うことになる。つまり、沖縄特産種でもなければ、南方系とばかり云えなくなってくることになる。またしても、私は自分の思い込みを訂正しなければならなかった。
 クワの語義については、『倭名類聚鈔』や『大和本草』からの
 
「くは とは蚕の食ふ葉と言義なり」
が一般的に説明されている。
 そして、『万葉集』にも次の二首が詠まれている。
 
足乳根(たらちね)の母のその業(なり)の桑すらに願へば衣(きぬ)に着るといふものを
 筑波根の新桑蚕の絹はあれど君が御衣(みけし)あやに着欲しも

 この二首から、既に万葉の時代に養蚕が行われていたことがわかる。
 そればかりか、『記紀』にも登場するほどであるから、我が国ではクワとのつきあいは相当古いことになる。世界史には「シルクロード」なる語が登場するが、そもそも「絹織物」なるものは中国の伝統工芸であった。「シルクロード」そのものは、中国から西洋への伝来の道筋のことであるが、我が国へは、既に1~3世紀の頃には養蚕が伝来しているという。
 ところで、荒垣秀雄編『朝日小事典 日本の四季』(朝日新聞社)のカイコの説明文の中に興味ある記述を見たので、やや長いが、ここに引用したい。
 
「カイコはクワ以外の植物をほとんど食べない。これは興味深い問題である。なぜなら、植物の葉は栄養の上では、みな似たようなものだからである。
 カイコは、離れたところから桑葉の方へ寄って行く。桑葉の誘引物質は青葉アルコール、シトラールなどの揮発性成分である。カイコは、これらの誘引物質を染み込ませた濾紙に集まるが、決してそれを食べようとはしない。実は桑葉の中には第二の物質、つまり摂食を引き起こす物質も含まれている。β-シトステロールなどがこの摂食刺激物質として知られている。ところが、この摂食刺激物質はクワに特有なものではなく、多くの植物の葉に広く含まれている。一方、植物の葉には、虫がいやがる忌避物質も色々含まれている。クワの葉にはカイコのいやがる忌避物質がほとんどないので、カイコは桑葉をとくに好んで食べるのだと考えられている。」

 カイコとクワの葉との間には、そんな関係があったのかとあらためて知った次第である。
 ところで、古くから養蚕技術は伝来しているが、我が国で安定した養蚕技術が開発されたのは江戸期に入ってからだったという。そして、近代に入ってからは、輸出の花形として飛躍的な伸びを示し、戦前には外貨獲得産業として脚光を浴びたという。だが、昭和五〇年代に入ると、我が国の養蚕農家はほとんど他の作物栽培へと転作してしまっている。だが、そのような長い歴史を持つだけに、クワは、たくさんの歴史・文学等の古典に登場するものと思われるが、意外に少ない。だが、本草書には多数登場している。
 クワは漢字表記の上では「桑」と表記される。つまり、「叒」と「木」の合成ということになる。そこで、「叒」とは、「若」の原字であって、元々の意味合いは<女性がひざまずいて髪を梳く姿を図形を文字化したもの>なのである。そこから、「軟らかい」とか「しなやか」と意味を表していることになる。これに「木」が加わったことになるので、「柔らかな木」或いは「しなやかな木」ということになる。なるほど巧い漢字を中国の人は作ったものと感心する次第である。子どもの頃、畑に落ちている刈り取られたクワの枝を拾っては鞭のようにして遊んだものだった。また、空気中で強く振ると、枝が風を切って音が出るので、誰が一番良い音を出せるか等と競ったものだった。そうした経験から、クワの枝が如何にしなやかであるかを既に子ども時代に学んでいたからだ。そこで、大人になってから「桑」という文字の本来の意味合いを知った時に、感心させられたのだった。
 上にはクワと養蚕の関係ばかりを述べてきたが、クワは、昔から、養蚕以外にも様々な用途に用いられてきた。先ず、樹皮は和紙の製造に用いられてきた。また、樹皮で昔は織物もされたという。子どもの頃に、上述のように畑に落ちているクワの枝を拾って、その樹皮を剝くと、簡単に手で向けたが、それが意外に丈夫だったことを記憶している。農家の方々は、落ちた枝を集めて自宅に持ち帰るためにこの樹皮を用いて束にした枝を結んでいたことを今も記憶している。また、樹皮は染料にも用いられている。そして、材は光沢が美しいので、建築材は勿論のことだが、櫛やお椀等にも用いられている。根株からはパイプも作られる。昔から、オモトを栽培するに欠かせないのが「桑炭」である。つまり、園芸にも用いられることになる。そして、葉や根茎部分は薬用にも用いられている。最後に、果実は、食用・果実酒等に用いられる。子どもの頃には、桑の実は「ドドメ」と呼び、夏のご馳走の一つだった。ただ、食べた後に、唇に紫色の跡が残るのすぐに分かってしまったものだった。アメリカでは、マルベリーと称して、桑は果樹として栽培されるという。生食・果実酒・ジャム等にされるという。子どもの頃に桑の実を「ドドメ」と言ったと上に述べたが、俳句の世界では「桑苺」と言っている。液果なので水分も多く、甘味も十分だったので、子ども達には人気の果実であった。しかし、桑の実の味などは、都会育ちの人は恐らく知る機会がなかったのではなかろうか。クワの木がほとんど姿を消してしまった今日では尚更のことであろう。
 今回、唐突にクワをテーマにしたのには個人的な理由がある。数年前に、タイの水上マーケットで、シルクのシャツを購入したことがある。柄が気に入って購入したものだったが、いざ着用してみると誠に着心地がよいのだ。そこで、次に、マレーシアに出かけた際に、絹織物の絵付けをしている工場を見学した際に、今度は柄よりも何よりも着心地の良さに惹かれて購入してしまったものだった。肌触りがとてもよいのだ。そして一昨年の冬に、通販会社からシルクのブルゾンを購入してみた。外国産らしいが、価格もとても廉価だったのも購入の動機となった。直接肌に触れるわけではないので、果たしてどうなのだろうかと幾分のためらいもあった。そして、品物が届いたので、開封してみると、随分薄くて、果たして冬用に着用が可能なのだろうかと大きな疑問となったものだった。何だかあまりにも頼りない感じがしたからだ。翌朝、毎朝の日課となっている散歩に出かける際に着用してみた。冬の早朝でもあり、屋外はかなりの寒さである。毎朝歩くコースは6㎞弱である。そのシルクの薄いブルゾンを着用して出かけてみた。半袖の肌着が一枚、その上にコットンのシャツ、そしてそのブルゾンの3枚だけである。予想に反して、少しも寒さを感じなかった。その上、また、新たな魅力を発見したのだった。軽いので自分でブルゾンを着ているという感覚が少しもない。ブルゾンなので、ゆったりと出来ているので、体を締め付けることもない。それ以来、このブルゾンがすっかり気に入ってしまい愛用することとなったのである。そして、今度は、シルクの肌着とシルクのセーターも、通販会社にオーダーを出してしまった。セーターの場合、着用した瞬間は冷やっとした感覚があるが、セーターが体温と同じ温度に達してしまうと、後はもう自分が衣服を纏っているという感覚すら失うほどにも軽くて、しかも外気を受け付けない。結局昨年はそのブルゾンを4シーズン愛用してしまった。夏場は不要だろうと言うことになるが、冷房の強い乗り物や建物内に長く過ごすときには、このブルゾンが役に立つのだ。薄いので、折りたためば嵩取らないのも魅力である。そんなこんなで、今ではシルクのブルゾンが手放せなくなってしまっているのだ。昔、我が国で養蚕を行っていた頃には、果たしてどれだけの人々が絹織物を身につけることが出来たのだろう等と考えていたら、クワについて記述する結果となったのだった。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、数日前に幕を閉じることとなってしまったカザルス・ホールを偲んで、パブロ・カザルスのチェロを聴いた。バッハの無伴奏チェロソナタを聴いた。音源はCD。それにしても、カザルス・ホールはあまりにも短い期間だけの存在だったように思う。20年程度のものでしかない。実に残念である。
 H.22.04.04