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レコード盤の思い出
 私は、今でも気分の良いときにはレコードを聴く。数年前に病気になってからというもの、ほとんど四六時中書斎に籠もりっぱなしの生活となってしまった。専ら「GKZ植物事典」の編集に時間を費やしている。内外の植物図鑑や辞書を開くのが毎日の仕事(?)のようなものだ。だが、時に、じっくりと読書に浸りたいと思うこともある。とにかく、死ぬまで読んでも目を通し尽くせないほどの書物が書棚にずらりとならんでいるからだ。そうした読書に時間をかけるときには、何故かレコードを聴きたくなるのだ。そして、今でも、我が家にはレコードが随分残されているのだ。レコードをかけるときに、中身を取り出した後のジャケットをプレイヤーの上や書棚等に立てかけておくと、何だか、一昔も二昔もタイムスリップしたような気分になれるのだ。
 私が初めてレコード盤なるものを目にしたのは、終戦直後のことだった。その年の4月から小学校に入学するという年に、学校というものはどういうところか見てみたくなり一人で出かけたものだった。戦争中は、都内の幼稚園に通っていた経験があったが、学校というものは、話には聞いたことがあったが、一度も行ったことが無かったからだった。未だ舗装もされていない田舎の道をとぼとぼと歩いて向かったのだったが、とにかく遠かった。
 学校に着くと、幼稚園とは比べものにならない程大きかった。そして、校庭も広かった。丁度春休みという時期だったので、教室には誰も居ないので、シーンと静まりかえっていた。ただ、ある部屋だけ、先生方が動き回ったり、机に向かったりしている姿が目に入った。どんな先生が居るのか興味津々でのぞいて見た。すると、我が家のラジオからは一度も流れてこないような音楽がその部屋から流れて来た。それが妙に気になってその場から離れることが出来なくなってしまった。一体、その音楽が何処から流れて来るかが分からなかったからだ。すると、一人の先生が、手招きをして中に入るようにとの仕草をしたので、遠慮無くお邪魔をしたものだった。問われるままに、今年から入学するので様子を見に来た旨伝えて、しっかりと自己紹介までもしてしまった。すると
 『どうやら、君は、これに興味があるらしいね。』
と言って、私を四角な木製の箱の前に連れて行ってくれた。
 『これはね、蓄音機と言うんだ。そして、これがレコード盤だ。』
と、私が尋ねる前に色々と教えてくれた。
 丁度、音楽が終わった時点で、その先生が、レコード盤を取り上げ裏返しにした。その時点では名前を知らなかったが、ピックアップのアームを持ち上げて、ネジを回して鉄製の針を外し、新しい針と交換した。その作業が終わると、箱の横についていたクランク形のハンドルを回した。そして、先ほどのピックアップを丁寧にレコード盤の上に乗せた。すると、不思議なことに、音楽が流れて来たのだった。それが、レコード盤を実際に目にした最初だった。先生方が、とても親切だったので、そして居心地がよかったので、翌日も出かけた。今度は、私は、蓄音機のハンドルを回す担当者として任命された。嬉しかった!だが、毎日通ったが、とうとう最後までレコード盤に直接触れたり、針を交換したりする役割までは、残念ながら昇格させては貰えなかった。
 これがレコード盤の最初の記憶だった。今にして思えば、所謂SP盤のレコードだった。その後、暫くは、レコード盤を目にすることは無かったが、やがて、小学校3,4年生の頃に、学校に電気式の蓄音機が導入されたのを機に、運動会当日等に、レコード盤から流される音楽でダンスをしたりもしたものだった。当時は、「電蓄」と言っていた。どうやら、電蓄は当時としては画期的な電化製品だったようである。何しろ、それまでのハンドルを回す蓄音機の場合、ゼンマイ式のために、ゼンマイが緩んでくると徐々に回転数が減ってきて、最後には止まってしまうのだった。回転数が減少してくると、音が徐々に低い音質へと変化してしまうのだ。電蓄の場合、ハンドルを回す必要も無ければ、レコード盤の回転数も一定だったので、常に快適な音質で音楽を楽しめたと言う点で、画期的だったと言えよう。
 私が、目にした最初のレコード盤である「SP盤」とは、材質がシェラック樹脂と呼ばれる天然樹脂で出来ていた。ビニール製のLP盤が登場するまでは、このシェラック盤が用いられたのだった。ほぼ半世紀はシェラック樹脂のレコード盤が用いられたことになる。このレコード盤には大きな欠点があった。それは割れやすいと言う事だった。また、傷つきやすくもあった。これは、SP番に限らないが、レコード盤の溝に傷をつけてしまうと、その部分で、ノイズが発生することになるのだ。また、今にして思えば、SP盤は仮に無傷のものでも音質はあまり芳しいと言えるものでは無かった。これもSP盤の欠点と言えなくは無い。だが、そうした比較も、LP盤が登場してからの耳がそうしたことを言わせているとも言えるのだ。LP盤を知らずにSP盤の音楽だけを聴いて過ごした人々は、じっくりと聴いて、堪能していたと想像することに無理はなさそうである。
 先刻ご案内の事とは思うが、SP盤のSPとはStandard Playingの略称と言う事になる。恐らくLP盤が登場してから、両者を区別するために命名されたものと推測されるのだ。
 SP盤の場合、回転数が1分間に78回転という速さだった。それだけに、あっという間に一枚のレコードが演奏を終了してしまうのだった。恐らく、長くても、精々5分間程度だったと言える。それだけに、例えば、交響曲等を聴く場合には、何枚かのレコードを要したことになる。そこで、しっかりとしたアタッシュ・ケース状の箱に収納されていたものだった。数曲が収録されたレコードを「アルバム」と称したが、この辺りからそうした呼称が用いられたのではなかろうかと推測される。
 別に<ラジオの思い出>の項に記したが、私は、今にして思えば、幾分おませな少年だったらしく、小学生の頃には、アメリカンポップスやジャズを専ら好んでラジオで聴いて過ごしたものだった。小・中学生の頃には、レコードを個人生活の中で楽しめるというのは余程裕福な人々でしかなかったと言えよう。そこで、専らラジオということになったのだった。
上述のSP盤に取って代わって主流となったのがLP盤である。LPとはLong playingの略称である事は言うまでも無い。確かに長時間演奏であり、片面で30分は収録できたのだ。これは、SP盤を数枚分収録できることになる。また、交響曲等も1枚のレコードに収めることが出来る。まさに画期的なレコードが出現したことになる。LP盤はアメリカCBSコロンビアから昭和28年(1948年)に開発されている。塩化ビニール製で30p盤である。加えて、その翌年には等しくアメリカのRCAが直径が17pのEP盤なるものを発売している。通称「シングル盤」とも呼ばれたものだった。EPとはExtended playingの略である。このEP盤の場合には、何枚ものレコードを続けて演奏させるためのオートチェンジャーが同時に発売された。そのために、レコードの中心部分に大きな穴が開いているために、「ドーナッツ盤」とも呼ばれることになった。
 その頃、ラジオやアンプの設計回路が、これまた画期的な変化を遂げた。所謂ハイファイ・タイプの登場である。ハイファイとはHigh-fidelityy(高忠実度)という方式へと変化したのだった。これにより、音質が飛躍的に向上したのだった。そこに来て、上述のLP盤やEP盤の登場と言う事で、音楽ファンは願ったり叶ったりと言った雰囲気となった。特に、上述のEP盤の場合、片面が7分程度の収録時間だったために、片面に2曲、当然両面で4曲程度のポップスが収録されて発売されたのだった。そのために、欧米でも、我が国でも、ポップス曲の場合、1曲が3分半程度迄と言う事になってしまったのだ。当時、LP盤はかなり高価であったために、中々個人で購入するには高嶺の花であった。そこで、EP盤が大いに普及することとなったのだった。
 その頃から、これまでの「電蓄」なる呼び名は消えて無くなり「レコードプレイヤー」と呼ばれるようになった。そして、レコードプレイヤーには回転数を変える仕組みが必ず付くようになったのだ。
 SP盤→78回転
 EP盤→45回転
 LP盤→33 1/3回転
というようにレコードの種類に応じてターン・テーブルの回転数を変える必要が生じたからだった。
 そして、LP盤が登場してから8年後には、これまたレコードの世界に大きな変化が生じたのだった。それはステレオ・レコードの登場である。高校時代に、ある高校の先生が、初めてステレオ・レコードを聴いた時の感動をとても興奮して語っていたことを今も記憶している。今でこそ、ステレオは当たり前の収録方式であるが、当時としては、とにかく凄いことだったのだ。例えば、クラシック音楽をステレオ・レコードで聴いた時に、実際にコンサート会場で聴くのと同様に、ヴァイオリン等の高音を担当する楽器は左側から、チェロやコントラバス等の低音を担当する楽器の音色は右側から聞こえてくるのだ。或いは、モダン・ジャズ等を聴いても、ソロのアドリブ演奏等から、それぞれの演奏者がどの位置に居るかが分かるのだった。このような非常にインパクトの強い変化がレコードの世界に矢継ぎ早に登場してくると、上述のSP盤はすっかり影を潜めることとなってしまたのだった。単に演奏時間が短いだけでは無く、音質も良くなかったことも消えて行く要因では無かったろうかと思われる。
 1970年代に入ると、「ソノシート」なるものが登場した。正確には「ソノシート」なる名称は朝日ソノラマ社の登録商標だったために「フォノシート」や「シートレコード」の名でも流通されたが、一般的には「「ソノシート」と呼ばれることが多かった。それは、丁度、初期のパソコンの記録メディアに用いられた「フロッピー・ディスク」がIBM社の登録商標であったにもかかわらず、他社製品のそれも「フロッピー」と呼ばれたと同様であったと言えよう。因みに、このソノシートの原理ならびに原製品を開発したのは、フランスのS.A.I.P.社であり、1958年のことだった。それをその後「「ソノシート」として商標と録したのがアメリカのIBM社だったということになる。そして、いち早く我が国でそれを実用化に至らしめたのが朝日ソノラマ社だったということになる。
 このソノシートは、基本的にはレコード盤と変わらないのだが、大きく異なる点が二つあった。先ずは、非常に薄く、しかもフレキシブルであるという点である。薄いから「シート」の名称が使われたのであろう。次に、とても安価だったということである。例えば、一般のLP盤のレコードの価格は、当時のサラリーマンの平均月収の10%近くもしたものだから、おいそれと次々と購入する訳には行かなかった。ところが、このソノシートの場合、生産コストが非常に低価格に押さえることができたために、雑誌や絵本の付録などとしても添付されたものだった。言い忘れたが、ソノシートの大きさは、上述のEP盤と同様の17pサイズであり、回転数も45回転であった。当時は、画期的な音楽記録メディアの登場と大きく世間を賑わせたものだった。しかも、これまでのレコード盤にはないカラフルなものが多かった。歌謡曲やポップスのシングル盤としても発売されたりもした。
 一度、音声メディアの講義の日に、思いつきでソノシートの実物を持参してみた。簡単に湾曲してしまう真っ赤なソノシートを見せて、名前と用途とを学生に問いかけてみた。誰も怪訝な顔つきをするばかりだった。そんな中で、一人の学生が8インチのフロッピー・ディスケットではないかと自信なさそうに答えた。なるほど、言われてみれば、大きさも、形状も、フレキシブルな性質も良く似ている。その日には、丁度、8インチのフロッピーも持参していたので、大きさが異なることを示すことが出来た。ソノシートの方が幾分小さくなるのだ。実際に、17p盤よりも小形の8p盤のソノシートも発売され、こちらは、初期のパソコンのデータをカセット・テープに記録した当時に、フロッピーのように記録した時代があったことも事実なので、先ほどの学生の答えも当たらずとも遠からずとも言えなくはなさそうである。
 レコードで思い出すのは、昔、「レコード・コンサート」なるものがあったことだ。今では、そんな催し物は何処でも行われないと思うが、私の高校生の頃には、あちこちでレコード・コンサートが開かれたものだった。市民ホール等の多目的ホールを会場にして、レコード・コンサートは開催されたものだった。有料・無料、どちらもあったが、とにかく、会場に入ると、ダウン・スポットだけにした薄暗い会場の正面に、大きなスピーカーが左右にセットされていた。レコード演奏を始める前に、ナレーターが、レコードのジャケットの裏面(或いは中に挿入されている場合もあったが、)に記述された内容を朗読するのだった。時には、物知りな御仁が、その曲や演奏者にまつわるエピソードなどを語ってくれたりもしたものだった。実際にレコード演奏が始まると、誰も言葉を交わすこと無く、薄暗い空間の中で大音量の音楽をひたすら鑑賞するのだった。
 当時は、まだ、敗戦の憂き目に遭ってから、我が国は復興の途上にあり、地方ではコンサートを開催できるだけの会場や施設も無かった上に、実際に演奏集団を招くだけの金銭的な余裕もなかったことは事実である。加えて、再三にわたって記述して恐縮だが、個人でLP盤のレコードを購入する、また、ステレオレコードを鑑賞するに堪えるだけのオーディオ装置を購入するだけの金銭的な余裕はなかったのだ。そうした時期に、このレコード・コンサートなるタイプの演奏会が地方で開催されたことは、音楽ファンにとっては願っても無いことだったのだ。大袈裟な表現をゆるされるのならば、音楽普及に貢献をしたとも言えるように思うのだ。 
 もう一つ、レコードと言えば、今でもあるのかもしれないが、「ジャズ喫茶」であるとか、「名曲喫茶」等という喫茶店があったことだ。前者は、どちらかと言えば小規模の、そして後者は、やや大きな規模の喫茶店である事が多かった。リクエストをすると、好みのレコードをかけてくれるのだった。特に、ジャズ喫茶の場合には、モダンジャズ・ファンが集まり、それぞれ自分の好きな演奏家の演奏を語りあうのだった。やれジョン・コルトレーンは凄いとか、いや、彼は調子に乗りすぎて良くないとか、イースト・コーストが良いとか、いや私はウエスト・コーストが好きだ等とジャズ談義が始まり、店のマスターもそれに加わるというパターンだった。特に、ジャズの世界は、演奏スタイルが、何度も大きな変化を積み重ねて来たので、新たな演奏スタイルのレコード・ジャケットが店内に張り出されていたりすると、目にした好事家は思わずドアを押してしまうということになったのだった。
 いずれにしても人々がそうした場に足を運んだということは、個人生活、つまり家庭内では、未だそうした音楽鑑賞をできるだけの余裕が無かったのだった。
 上に、レコード・ジャケットについて記したが、レコード盤の大きな特徴は、収録されている音楽はもちろんであるが、ジャケットも大きな要素を有していたことは事実である。先ず、その当該レコードを思い起こすときに、或いは探し出すときに、最初に脳裏に浮かぶのはジャケットの写真や図柄である。自分の好きなレコードのジャケットを壁や天井に張り付けていた友人も多く存在した。現在のCDのような大きさでは無く、30pのレコードを収納するジャケットであるから、当然そのサイズも大きいので、美しい写真や大胆な図柄などが用いられており、とにかく印象的だったと言える。その上、贅沢なレコードの場合、ジャケットが二つ折りの見開き方式になっており、見た目にも充実感があったものだ。それが、CD等の場合には、仮にケースを開いたまま外側から眺めてみても、レコード盤のジャケットを親しんだ世代の者には、どんなに見事な絵画や写真がそこにはめ込まれていても、やはりインパクトは薄く感じてしまうのだ。今では、CDよりもネット上からダウンロードする方式が主流というが、探し出すときに、文字が脳裏に浮かぶことになるのであろうか?
 レコード盤で思い起こすことがまだある。昔愛読していた『音楽の友』だったか、『レコード芸術』だったか、そのどちらかに、作曲家の高木東六氏が次のようなことを述べておられた。
 音楽を構造的に理解したい方は、楽譜を見ながらその曲を鑑賞しなさい。作曲家の工夫や苦労がよく分かりますよ。
というようなことが述べられていたのだ。この記事を読んでからというもの私は楽譜を買い求めるようになった。当時は、レコードに楽譜が添付されているものも多く発売されていたので、出来るだけそうしたレコードを購入するようにしたのだった。これはCDやカセット・テープでは出来ない芸当ではなかろうか。ジャケットの中に数頁もある楽譜が挿入されているのである。楽譜も文字も大きいので、老眼になった今でも見ることができる。楽譜を見ていると、作曲家が、音楽の進行の中で、どのような楽器を組み合わせ、どのような和音構成に仕上げているか等がよく分かる。例えば、ブラームスの場合等には、同じモチーフの曲を何度も作り替えているが、どこをどのように変えたか等という苦労の跡も音楽に関しては素人ながらにも垣間見えるのである。こうした鑑賞スタイルを身につけさせてくれたのは、高木先生のお言葉と同時に、レコード盤に楽譜が添付されたいたからこそであるともいえるのだ。
 結婚した当時、私は、民間企業に在籍していた。住んでいたのは、その企業の団地だった。結婚して、様々な生活用品を取りそろえた次第であるが、必ずしも必要不可欠とは言えない代物では、当時はステレオ装置と称したオーディを製品だった。当時は、出力を大きくするためには、スピーカーの口径が大きなことが要求されたために、キャビネット・タイプのステレオ装置は、部屋の中でかなり大きな空間を占める結果となってしまったものだった。しかし、結婚して、初めて自宅でレコードを聴く事が可能となったのだった。その時点では、十分に幸福感を満たされた思いで毎日を過ごしたものだった。おまけに、既にFM放送も始まっており、様々な音楽番組を組んでいたのだ。
 それは邪道だとのそしりも禁じ得ないが、レコードは、全てデジタル化して外付けのハードディスクに収納してある。レコードという代物は、どんなに慎重に扱っても傷をつけてしまうことがあるからだ。私個人にとっては宝物のような存在であるから、出来るだけ長く保存したいと考えているからだ。
 レコード盤、やはり懐かしいですね!
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、タイトルとは裏腹に、音源はパソコンからだった。ビル・エヴァンス・トリオの曲ばかりを選んでランダムに聴き流しながらタイピングしました。ビル・エヴァンスこそは、名ジャズ・ピアニストであると言っても誰も異論を唱えないのではなかろうか。それまで、ピアノという楽器はジャズの世界ではリズム・セクションの範疇に閉じ込められてきたが、彼がトリオを組むようになってから、ピアノが主役に回る、そればかりでは無く、ベースも、ドラムスも誰もが主役に回ることができる演奏スタイルを示したのだ。彼の”Waltz for Debby”は傑作ですね。彼も,今から30年以上も前に他界してしまっている。彼の演奏は、スタンダード曲をアレンジしたものが多いだけに、どれを聴いても馴染めるのだ。
 H.23.08.06