←トップ頁へ

GKZ文庫掲載にあたって
 リクエストがありましたので、現在我が家の書斎にある書物の中でも、特に植物に関係のない書物も掲載いたしました。
 先ず、何よりも先に、その分類方法に何方も一笑されたのではないでしょうか。私個人が検索しやすいような分類となっております。例えば、「日本図書館十進分類法」のような形式は取っておりませんのでご了承いただきたく存じます。
 昨年、このホームページをご覧になったある方からメールを頂戴し、ある美術展の図録を譲って欲しい旨の連絡を頂戴しました。その方は、中国の国立大学の先生で、我が国の某国立大学に留学しておりました。大学で学ぶことももちろん大きな目的でしたが、中国に存在しない書物を入手して自国に持ち帰ることも留学の大きな目的ということでした。その方は、ご自身が専攻されている分野の中で、特に、日本の美術・絵画の領域が西洋のそれに与えた影響、つまり、ジャポニスムに関した書物を探しておりました。その中で、どうしても欲しい書があり、ネット上で検索をしたそうです。すると、ある書が、三件ほどヒットしたそうです。その内の2件は大学の図書館にあり、一件は都内に、他は、地方の大学ということでした。早速、都内の大学で実物をご覧になり、その解説を見るや、是非とも入手したいと願ったのだそうです。大学図書館以外となると、残る一件は、個人保有の我が家の書斎ということになります。しかも、その書が、一般に販売されている書物ではなく、美術展の図録であるだけに、一般の書店では購入が出来ません。そこで、メールを下さったということです。
 実は、私は、今では、離れてしまったのですが、メールを頂戴した時点では、二つの大学で講座を担当し、その内の一つでは、<美学美術史学科>という領域に所属していたのでした。(因みに、私の担当した講座は、「美学」とは直接的には関係の無い分野であることを、ここに申し添えておきます。)等しく学問に生きるのであればと思えば他人事とも思えず、件の書をその先生にお送り申し上げました。そして、学問の世界でお役に立てるのであればどうぞご利用いただければ、何よりですと手紙を添えて進呈いたしました。
 私からの手紙と書物を受け取ったその中国人の先生から電話を頂戴しました。翌週に自国に帰国されるということでした。私は、偶然にも拙いながらも中国語が話せました。その先生も日本語を話せました。両国語を交えた珍妙な会話となりましたが、彼の喜ぶ声が今も耳の残っております。彼は、必ず北京に来て欲しい、そして彼の自宅に滞在して欲しいと申しておりましたが、未だに約束を果たしておりません。
 上述の中国からの大学の先生の話の二年前のことですが、私は、大学で、美学を専攻する学生に対して、講義の際に、「我が家に、『芸術新潮』誌が、過去11年分保存してあるのですが欲しい方には進呈します。」と述べたところ、講義終了後、希望者が現れました。女子学生のために、親子同伴で我が家に来ていただければすべて進呈しようと述べたところ、その年の夏休みに我が家に母親とともに車で見えましたので、約束通り進呈いたしました。
 自慢話めいた話を2題ほど上に述べましたが、以下のような事情にあります。
別項「ユスラウメ」でも述べましたが、東京から越してきて、現在の地に住み着き、現在の家屋は、戦後3回ほど建て直しております。現在の家屋を建築するにあたり、当時は、亡母と妻との3人暮らしであったために、私の我が儘を聞き入れて貰い、自分でも分不相応と思える広さの書斎を設けました。しかし、やがて、そのキャパシティを遙かに超える程の書物に我ながら呆れるやら、困惑するやらでした。
何事にも杜撰な私でしたが、書物ばかりは、違いました。日本図書館十進分類法による分類をし、書物の裏表紙に、分類項目・分類番号・購入日付・購入書店名等を記述したゴム印を押印し、加えて、朱肉で蔵書印までも押印して保存をしたのでした。また、図書館並みに、ラベルまでも書物に貼り付けたりもしたものでした。
 かねてから、私が他界した時には、市内の図書館に我が家の蔵書を寄贈して欲しい旨妻に伝えてあったのですが、それぞれの書物には、私の書き込みやら、アンダーライン・サイドラインが引かれ、加えて上述のような蔵書印が押印がしてあれば、どの図書館でも引き受けては貰えません。また、古書店も引き取って貰えません。
 ここ数年というもの、地域内の子ども会が廃品回収を実施する度に、不要と判断した書物は処分しております。ラベルが貼ってあるものですから、回収に見えた方が、処分して良いか否かを確認されたりもします。何処かの図書館の書物と思われたのでしょう。
 いずれにしても、それぞれの書物には、私なりの思い出がたくさん残されており、処分するには、躊躇いが伴うことも、我が家の書斎を過飽和状態に導いた大きな要因と申せます。特に、専門誌として刊行された定期刊行物の類は、単行本からは得られない貴重な写真や記述が見られ、なかなか処分できずにおります。数年前に廃刊となってしまった平凡社の『アニマ』等は、未だに書斎の屋根裏に、横積みになったまま埃をかぶっております。とは申せ、ここ十年ほどで、随分処分いたしました。現在、ホームページ上に掲載した書は、全蔵書の75%程度と言えます。残りも、暇をみて掲載したいと思っております。
 今にして思えば、こんなにたくさんの書物と巡り会えることができたということは、とても幸せな人生だったしみじみと思っております。というのも、私は、経済的な事情で、大学へは、27歳で入学したのでした。その時には、既に妻帯してもおりました。そんな貧乏生活の中でも、書物を購入し続けることが出来たということは、とても有り難いことです。不確かな記憶のため何方の言葉だったかは思い出せないのですが、「世の中には、<精読>とか<乱読>などと言う言葉があるが、<積ん読>というのも大切なことだ。そこに、書物があれば、必要な時に、必要な書から、求める情報が得られるからだ。」と述べておられた。その言葉は、私にとって蓋し名言と心に残り、この情報化社会に生きながら、読書生活を送っていることになる。今後、植物ばかりではなく、書物そのもの、また、その著者に関する私なりの回想録を、このコーナーに記述したいとも思っております。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、春も到来したことでもあり、パブロ・カザルスのCDアルバムをタイピングのBGMに流しました。チェロの音色は、心を穏やかにしてくれますね。
 H.20.06.14