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ナス(茄子)について
 ナスとキュウリこそは、子どもの頃は、夏野菜の典型であった。だが、今では、どちらも周年店頭に並ぶようになってしまった。
 以前このTopicsの項で、終戦直後の子どものおやつについて述べたことがあったが、キュウリナスもやはり、夏場の子ども達の重要なおやつでもあったのだった。今日でも、生のキュウリに味噌などをつけて食べることがあるのだが、ナスについては、生食をすることはないので違和感を覚えるのではないだろうか?いくら終戦直後とは言え、ナスばかりは生食はしなかったことは確かだ。理由は単純である。ナスは、生では独特の臭気もあれば、味も宜しくないからだ。では、どのようにしておやつにしたのだろうか。既にお気づきの御仁も多いかとは思うが、漬け物にしたものをおやつにしたのだ。糠漬けや辛子漬け等ではなく、塩漬けにしたものをおやつにして食べたのだった。漬け物樽(桶)から取り出したものを水洗いして、包丁で切ったりせずにそのままかぶりつくのだ。ナスの塩漬けを口にすると、歯がナスの果皮の色で染まり青くなってしまい、一種異様な表情となってしまったことを今も記憶している。
 当時は、どちらのご家庭でも漬け物は行われていたものだ。それは、ナスもキュウリも、収穫時期が限られていたからだ。つまり、晩秋から翌春にかけては、塩漬けにしたものを食べたのだった。例えば、糠漬けなどの場合は、長期的な保存と言うより、促成の漬け物と言えよう。半日、もしくは一日程度糠床に入れておくだけだが、塩漬けは長期的な保存法だったと言えよう。あまり長く漬けて置いたものは塩分が強くなってしまうので、包丁で刻んでから、水の中で塩抜きをしたものだった。また、時には、そのまま食べずに、塩抜きした漬け物のナスをフライパンで炒めて食べたりもしたものだった。
 今日では、冒頭に述べたように周年流通が成されているので、どちらのご家庭でも、塩漬けなどは行われなくなってしまっている。残ったのは糠漬けや浅漬けだけのようである。
 それにしても、ナスばかりは、上述の通り、キュウリと相違して、漬け物以外では、生食はされない。だが、煮ても良し、焼いても良し、茹でてもよしと、とにかく、様々な調理法がある。料理人の世界では、「茄子の料理が客前に出せれば一人前」と言われるという。それだけ、ナスというものは味良く、色よく、しかも形を崩さずに出すことが難しい素材と言うことになるのであろう。だが、ナスは、栄養の点ではあまり褒められた存在ではない。つまり、あまり栄養価に富んだ野菜ではないということになる。ナスそのものが主役の調理法も多々あるが、ナスの場合、調味料の味を引き出すのに重要な役割を担っているようにも思える。様々な野菜の中でも、油とこれほど相性の良い野菜は無いのではなかろうか。
 そもそもナスなる植物はインドが原産の植物ということである。インド産のSolanum insanumが原種であろうと推測されている。だが、野生状態のナスは、未だに発見されていないということである。インドから中国に渡り、我が国へは、中国を経由して渡来したことになる。中国では、既に5世紀頃には栽培されていたというから、栽培の歴史は相当古いことになる。ヨーロッパに渡ったのはかなり送れて、13世紀になってからということである。ということは、古代ギリシャや古代ローマの人々はナスを知らなかったということになりそうである。
 我が国では、東大寺正倉院の古文書に記載が見られるということであるから、かれこれ1200年以上も前から栽培されていたことになる。
 ナスの学名はSolanum melongenaである。属名に用いられているSolanumの語源は不明という。一説には、ラテン語のsolamen(=安静)を語源としていると言われている。この属の植物の中に鎮静作用を持つ植物があるからと言う。種小名は「ウリのなる」の意となる。
 ナスの和名については諸説があるが、一般的には「中酸実(ナカスミ)」からの転訛と説明されている。ナカスミ→ナスビ→ナスとなったという。
 ナスの漢名は「茄」である。だが、何故「茄」なのだろうと思った。現代の中国語では、たとえば、「茄克(jiā-kèe)」と表記してジャケットを音訳した語などに用いられている。「茄」の文字は、本来的には「荷(ハスの茎)」と同じように、茎の上に大きな葉が乗っているイメージを示す漢字なのである。どうもナスとどのような関係があるのだろうと思えてくる。毎度引き合いに出している加納喜光著『植物の漢字語源辞典』(東京堂出版)を開くと、
 
「茄の語源は不明。茄は伽の音で読まれ、伽子とも称された。伽は仏典の音写字である。したがって、茄は外来語由来の可能性がある。」
と出ていた。どうやら、この辺りに、ヒントがありそうであるが、悲しいかな、我が家の書斎にある書物や辞書では、原産地のインドでは、ナスをどのように称していたかまでは探ることが出来なかった。インドから中国にナスが渡り、「伽子」といった頃の「伽」や「茄」は現代中国語の発音ではなく、giãであったらしい。
 次に、欧米ではナスをどのように称していたかということを調べて行く内に、面白い記述に出会った。先ず、その前に、欧米では、ナスは次のように称されている。
 英  語:egg plant/aubergine
 フランス語:aubergine
 ド イ ツ語:Aubergine
 イタリア語:melanzana
 スペイン語:belenjena
 ポルトガル語:berinjera
 英語でegg plantと呼ばれているのは、先刻ご案内の通りであるが、それは、ナスの果実の形状からの命名であろうが、それ以前には、フランス語と同じaubergineと呼ばれていたようである。いつ頃からegg plantに変わったかまでは調べていないが、いずれにしても、ナスがフランスからイギリスへ渡ったとは推測に易い。上の六カ国語の中で、ラテン語からの名称を受け継いでいるイタリア語を除くと、他は、語源が同じであることが理解できよう。この辺りの事情について、面白い記述を目にした。
 ジャン=リュック・エニグ著『事典 果物と野菜の文化誌』(大修館書店)のナスの項に次のように出ていた。やや長いが引用すると次のように出ていた。
 
なすはインドを原産地とする。サンスクリット語やベンガル語には、ナスの名前が山ほどある。《ボンダ》、《バルタク》、《マオティ》、《ヒンゴリ》(中略)真の名前、ともかく一番確実な名前は《ヴァルタ》だった。また、《ヴァエルタク》、《ヴァルタカ》、《ブングナ》、そしてヒンドスタン語で《ブンガン》と言う者もいる。(中略)なすは絹と香辛料を運ぶキャラバン隊についていった。長いことたってペルシャで見つかった時には《バティンガン》と呼ばれた。次いで、アラブ人が《アルバディンガン》と呼びかえ、アフリカとスペインにもたらした。また、13世紀には、カタロニア人たちがなすを《アルベルギニア》と名付けた。そして最後に到達したのがイタリアとフランスの庭だった。
 我が家にある上掲書は残念ながら和訳本であり、記述は個々の固有名詞がカタカナ表記となってしまっている。しかし、その変化の推移は大凡読み取れる。スペインのカタロニア地方の言語からフランス語は受け継いでおり、英語も、そのフランス語から受け継いだことになる。ただ、上述の中国語との関連を探るには引用文は手がかりにならなかった。
  江戸時代に詠まれたナスの俳句に次のようなものがある。
    
扇から扇にとるやはつ茄子    一 茶
    手にふれば瑠璃やくもりて初茄子 大江丸
 初物のナスに対する思い込みが良く表れている句と言えよう。今日のように、周年流通を見るようになった時代では、何月に店頭に並んだものが初物なのか少しも見当がつかないが、昔は、初物と言えばどれだけ貴重だったかが分かるような気のする句ではなかろうか。
 ところで、我が国では、既に江戸時代には促成栽培が行われていたという。静岡県辺りでは、少しでも早く初物のナスを売るために、苗を早くから植え付けていたというのである。そして、所謂「初茄子」はとても高価に取引されたのだという。それを物語る諺として
    
「一富士、二鷹、三ナスビ」
がある。この意味について、荒垣秀雄編『朝日小事典 日本の四季』(朝日新聞社)に次のように述べられている。
 
初夢に見ると縁起がよいとされる「一富士、二鷹、三なすび」。どうしてナスが目出度いのだろう。ナスは「成す」に通じるからとの説もあるが、『甲子夜話』によると、「神君駿府にありし時、茄子の価高くして数銭に値す。それ故高きものは一に富士、二に愛鷹山、三に茄子という意なりと楽翁語る」とある。江戸の初期、駿州の清水辺りで、春できるだけ早く苗を植え、今で言う促成栽培をして初夏にはもう収穫した。これが初鰹と同じく高値でもたはやされたという。これを楽翁公が揶揄したものであろう。
 上掲の俳句にも見られるように、初物に対する思い込みは、逆に考えれば、それだけ当時の人々にとって、冬場には野菜類の乏しい生活を余儀なくされていたと言うことにもなるのであろう。
 ナスのハウス栽培、つまり促成栽培の始まる以前には、初夏から降霜の頃までは露地栽培が行われたのだった。ナスは本来多年性草本なのであろうが、一度霜に遭えば枯れてしまうのだった。以前、團伊玖麿先生の三周忌にあたり、八丈島で追悼公演会が開かれ、先生の別荘のある八丈島を訪れたことがある。帰路、島の空港の売店で面白い書を目にした。伊川公司著『茄子の樹』(新風舎)という書だった。手に取ってみると、表紙には葛飾北斎の絵がプリントされていた。女性が七段の梯子の上に乗ってナスをとろうとしている図なのである。このナスの樹は三年物なのだという。これは、滝沢馬琴の『椿説弓張月』の中で、源為朝が敗走して八丈島に到着した時に、茄子の樹を見て驚いたという一説の挿絵なのである。この表紙の絵柄、タイトル、そして目次を開いている内に、帰りの機内で読んでみようと購入したのだった。因みに、同書の著者は、元公立高校の校長先生でもあり、かつては八丈島にも勤務されている。同書には、八丈島の自然、歴史、民俗に事細かく述べられているので、八丈島を知る良い手がかりを得たものと、同書を購入した自分自身に対して自分で拍手を贈ったものだった。
 ところで、晩秋に、畑で枯れてしまったナスを昔は地面から抜いて良く乾燥させ、それを炊飯時や風呂焚き等に燃料として用いたものだった。こればかりは、等しく夏場の野菜であるキュウリには得られない大きな特徴でもあった。乾燥させたナスの茎は非常に堅く、根本部分はかなりの太さもあり、子どもながらに、これでも草の仲間であって木ではないのかと訝しく思ったものである。
 昔も今も、ナスとキュウリは庶民的な野菜の代表格であろう。世にスーパーなどと呼ばれる販売方式並びに流通形式が一般化する前には、街中の八百屋の店頭に笊の上に並べて販売されている光景を目にしたものだった。どちらも一山幾らで販売されていたものだった。どちらも夏場の野菜の典型でもあった。だが、キュウリと比較して、ナスは年々出荷量は減少しているという。大久保増太郎著『日本の野菜』(中公新書)では次のように述べられている。
 
1975年をピークとして少しずつ出荷量(需要)が減少して1980年にはニンジンに、85年にはレタスに、そして、平成に入ってからは、ネギに抜かれ10位の座に甘んじている。食の洋風化も一因であろうが、家庭で漬け物や調理をする機会が減ったことも大きく影響しているように思われる。
 
大久保氏の申されるように、食生活の洋風化は大きな一因であろう。特に、昔は、あまり生野菜を食べることの少なかった我が国の食生活は、大きく様変わりをして、生野菜が常に食卓に上るようになってきている。だが、ナスは、生で食べるには適していないのだ。加えて、これまで見られなかった魅力ある野菜が豊富に流通するようになったことも、ナス出荷量の減少につながるのかもしれない。食生活のヴァリエーションが豊富になるにつれて、その素材も多彩と化してきたためにナスは相対的に減少する結果となったのではなかろうか。また、最も大量にナスを必要とするのは、漬け物の中でも塩漬けであろう。だが、近年塩分を控え目にする傾向にあるため、家庭での漬け物は、糠漬けや浅漬けが主流のようだ。浅漬けや糠漬けの場合、その都度必要な量だけを補給するればよいのだから、量は問題にならない程度である。更に、消費者の側ばかりではなく生産者側の事情もあるのではなかろうか。ナス科植物につきものの連作障害であるとか、生産に要する期間の問題、他に高収入を得られる農作物の導入等と様々な要因も加わってナスの出荷量が減少していることも否めないのではなかろうか。
 上に、ナスは正倉院の古文書に記載が見られると述べたが、ナスとのつきあいは日本人にとって長いし、如何にも庶民的な野菜でもあることでもあり、さぞかし様々な文献に登場するであろうと期待して文献を調べて見たが、これが意外に少ないのには驚いた。古典文学の世界では、『梁塵秘抄』、『近松浄瑠璃集』、『西鶴集』程度でしかない。和歌の世界では、ほとんど明治期以降のものばかりである。俳句の世界でも、『芭蕉句集』と『蕪村句集』程度であった。あの美しい色合いと、ユニークな形状の果実としてはどうも物足らない気がしたものだった。また、庶民的な句を詠む小林一茶の句集には、こちらの探し方が悪いのか見出すことが出来なかった。果たして、江戸時代以前には庶民的な存在ではなかったのだろうか?それともあまりにも身近に過ぎて文学の場に登場する事はなかったとでもいうのだろうか。
 昔も今も、ナスは庶民的な野菜と言えよう。ナスは、煮る、茹でる、油で揚げる、焼く、蒸す、漬け物と等と調理法は多彩であることが魅力の一つとも言えよう。それに伴って、我が国では、古来から品種改良が行われ、多様な品種が出回っている。特に江戸時代にたくさんの品種が出回るようになっている。
 子どもの頃から見慣れたナスだったが、小学校3,4年生頃に、ある農家で、随分巨大なナスを目にしたことがある。帰宅後に両親に告げると、「それは米ナスといって外国から来たナスなのだヨ。」と教えられたものだった。単に大きいだけでなく、これまで見慣れたナスの場合、どちらかと言えば縦長だったが、私が目にしたものは、長さよりも横に大きく太っていたのだった。子どもながらに、見た目の印象から、どうやら漬け物には向きそうにないなと思えたものだった。自分の印象を両親に伝えると、確かに、漬け物向きのナスではなく、焼き茄子にして食べるという。翌日、父が何処からかその米ナスを入手して帰ってきた。それを母が早速焼いて、その上に味噌を塗って田楽風にして食卓に載せてくれたが、やはり、ナスはナスの味がするのだなと、特別な味の印象はなかったことを記憶している。
 大人になるまでは、自分の住む地域で栽培されているナスだけを食べて育ったものだったが、ナスにたくさんの品種があることなど知る由もなかった。だが、大人になって、我が国各地に出かけるようになると、色こそ懐かしいナスの色をしているが、形状が大きく異なることを知ったものだった。例えば、私の好きな食材市場の京都・錦小路でナスの辛子漬けを初めて目にした時には、その大きさがあまりにも小振りなので、店の人に尋ねてみると、それでも成果なのだという。所謂一口ナスだった。上述の米ナスと比較すると、まるでナスのミニチュア・ヴァージョンのようにも思えたものだった。蛇足だが、京都は、地理的な要因から、様々な独特な野菜の品種が栽培されており、上述の錦小路では飽きることを知らない。
 外国に行っても、必ずその地のマーケットや食材売り場をのぞいて見ることにしている。欧米各国では、牛乳瓶ほどもある太さのネギやキュウリには毎回うんざりもさせられたものだったが、ナスも同様に大きかったという印象だけしか残っていない。というのは、確かに、食材売り場ではナスを目にしているのだが、外国では、料理をされたナスに接したことがほとんど無い。タイ料理や中華料理程度しか外国でのナスの味は記憶がない。昔、オーストラリアでホームスティをしたことがある。ホストファミリーにナスについて聞いて見たが、知ってはいるが食べたことはないと言う。カナダやアメリカの知人宅でも聞いて見たが、やはり同様の返事だった。
 今日、我が国で栽培されているナスの種類は180品種程度と言うことである。
 トウガラシカボチャには観賞用のものが存在するが、ナスにも観賞用のものがある。以前育てたことがあるが、白色や緑白色だった。鶏卵程度の白色のナスを育てた際に、暫く放置していたら、最後には黄色く熟してしまったのには驚いたものだった。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今年の夏は特に暑い。数日後には9月に入るというのに、残暑が厳しい。せめて音楽だけでも秋を先取りしたくて、Juliette Grecoのアルバムを手にしてしまった。すると、その後には、どうせならとYvette Giraudのアルバムも棚から引き出してしまった。随分昔の音楽ばかりだ。昔、彼女たちの歌声を聴くことが出来たのはラジオからだった。まだ、テレビが普及を見る前の話だ。まだ、高校生だった頃に、ラジオからのシャンソンを耳にして、フランス語というのは随分耳触りのよい言語だなと思ったものだった。特に、ジュリエット・グレコの場合、何かとエピソードも多い歌手である。ジャズ界の巨匠マイルス・デイヴィスとの結婚話はよく知られている話だが、両者を引きつけたものは何だったのだろうかと思ってしまう。そして、どれほどの期間、二人は結婚生活を続けられたのだろうか?いずれにしてもまるで異質なジャンルの音楽家達である。
 H.22.08.26