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ゴボウ(牛蒡)について  
 
  埼玉の野中の町に得たりよと牛蒡おもげに人の提げ来る(茜雲)   窪田空穂
  土に育つものの愛しきひとりゐて牛蒡を掘れば牛蒡の匂ふ(稲供養) 岩城正春
     
 子どもの頃、あまりゴボウは好きでは無かった。いつも、大人は何故こんな野菜を食べるのだろうと訝しく思って過ごしたものだった。それが、不思議なことに、年を取る毎に、ゴボウを美味しいと思うようになってしまった。特に晩秋から早春にかけては、ゴボウが美味しいと個人的には思っている。今の世では、ゴボウも他の野菜同様に、周年スーパーの店頭に並んでいる。それでいながら、私は、ゴボウは冬物野菜と思い込んでいるのだ。
 その一つの理由は、未だ職業生活を送っていた頃、群馬県内の勤務地に向かう途上で、太田市を過ぎて旧尾島町(現太田市)辺では、右の写真のような光景を良く目にしたからだった。ゴボウの栽培畑である。この見事に大きな葉姿も冬場には見られなくなるのだった。掘り上げて出荷されてしまうからだ。
 
 そして第二の理由は、毎年11月下旬に開催される市の産業祭で、忘れずに買い求めるのがゴボウだからでもある。毎年、大量に買い求めている。それを庭に大きな穴を掘って埋めておき、必要な時に必要な量を掘り出して食べるのだ。つまり、毎年、我が家では、冬場にゴボウを食べる機会が多いということになる。  
 戦後間の無い頃は、我が家でも母が敷地内でゴボウを栽培していた。父が好んで食べたからであった。しかし、我が家は農家ではないから、野菜を栽培する場所も限られている。ゴボウは上掲の写真に見られるようにフキの葉のように大型の葉をつける。子供の頃には、ダイコンと比較して、葉が大きい割には食べる部分が少ない野菜だなと馬鹿にしていたものだったが、母も、やがて、別の野菜栽培へと変えてしまったものだった。つまり、ゴボウは栽培するのに意外に場所を取る野菜だった。
 ところで、毎年、市の産業祭で毎年ゴボウを買ってくると上述した。子どもの頃、我が家で栽培していたゴボウの記憶と相違して、その長さに驚かされる。太さは、さほど変わらないが、長さに圧倒される。1m以上はある。細くて長いゴボウを掘り上げるのはさぞかし大変だろうなと思ったものだったが、偶然、ゴボウを掘り上げる作業を目にすることが出来た。今時は、ゴボウを掘り上げる農機があるのだった。次々と抜きながら進んで行く。手作業とは大違いの速さであった。しかも、折れたりしていないのだ。日本語には「ごぼう抜き」という言葉がある。一気に抜き取る事を言うが、今時のゴボウはとても手作業では一気に抜き取るのは出来そうにも無さそうである。。
 右に示したのは、ご存じと思うが、ゴボウの花である。根とは対照的に繊細な見応えのある花をつける。 ゴボウはキク科の植物である。原産地は、シベリアから、ヨーロッパにかけて広く自生しているという。学名をArctium lappaという。属名のArctiumとは、ギリシャ語で「熊」の意であり、総苞片が鈎状になっていて衣服につきやすいからというが、何故、それが熊と関連するのか釈然としない。ヨーロッパの子ども達は、この総苞を取って衣服につけて遊ぶという。漢方の世界では、ゴボウの実を「悪実」というが、この総苞片の性質に由来していると言う。種小名のlappaとは、ゴボウ属の植物のラテン古名からという。とにかく、ゴボウとは、本来的には、寒い地方が好きな植物のようである。昨年(2016年)、札幌市の円山公園でゴボウが大量に野生化していると  
の報道があったのは、未だ記憶に新しい。
 ところで、このゴボウという野菜、面白いことに、世界中で、日本人だけが食用としているということはよく知られている事柄である。一般的に野生の植物を野菜として栽培を始めるのは原産地からというのが他の野菜での通例である。このゴボウばかりは、どうやら例外のようである。個人的な経験ではあるが、これまでに多数外国の地を訪ねたことがある。いつも、外国でチェックするのは、食材についてである。外国の料理で、ゴボウが登場したことは一度もなかった。もう一つ、外国でチェックするのは、我が国で申せばスーパー・ストアのような食品販売店やマーケットに足を運び、どのような食材が並んでいるかを把握する事である。私の乏しい経験では、ハワイとオーストラリアのマーケットで目にしただけである。たった一度だけ、海外でゴボウを食べたことがある。オーストラリアで、現地在住の日本人宅で、日本人が来豪しているのならといって、夕食にお招きいただいたことがある。その時に、そのお宅の奥様が出して下さった料理が、驚いたことに、「おでん」だったのだ。その中に、ちゃんとゴボウも入っていたのだ。果たしてそのゴボウは、何処の国で生産されたものだったのだろう?蛇足だが、オーストラリアにはホームステイをしていたことがあるが、現地では、醤油も、味噌も食材販売点の店頭に並んでいたものだった。
 どうやら、ゴボウは寒い地方が好きな植物のようだと上述した。先日、いつも行く市内のスーパーで食材を見ていると、我が家では、これまで一度も購入したことはないのだが、ゴボウとニンジンを繊切りにしたビニールの袋詰めを目にした。これまでにも良く目にしていたのだったが、手にすることはなかった。何気なく手にとって生産地を確認すると、フィリピンや中国の文字が目に入った。つまり、それらの国で袋詰めにされたと言うことである。中国での生産ならば、さほどの違和感も無い。しかし、フィリピンとなると、<ゴボウは寒い地方が好きな植物>というイメージからは、違和感があった。そこで、帰宅して調べてみると、驚いたことに、フィリピンでもゴボウが栽培・生産されていることを知ったのだった。
 我が家の蔵書の中から、『サライ・ムック 地球食材の旅 行きの巻』(朝日新聞社日曜版編集部編 1998年刊)なる書に、フィリピン・ルソン島でゴボウを栽培している事例が詳しく掲載されていた。ルソン島の標高1400m級高地で、販売目的で栽培されているというのだ。栽培しているのは、日本人の父親を持つ現地の農家の主婦だった。現地では、ゴボウを栽培する農家が数件あり、市場にもゴボウは並んでいると記述されていた。それを購入するのは現地の人々なのだろうか?とすれば、ゴボウを野菜として栽培し、食べるのは日本人だけというこれまでの私達の常識は覆ることになる。同書には、その答えに相当する記述は見られなかった。
 
 ゴボウを食べるのは我が国だけのようだとは、どの書でも伝えている。このことに関して、これまた、よく知られた逸話がある。そして、様々な書が伝えてもいるが、若い方々でご存じない方もおられるかも知れないので、以下に記述しておきたい。
 昭和20年(1945)12月に、我が国では、かつての大戦時のBC級戦犯を裁く横浜裁判が始まった。その第一号被告は長野県下伊那郡天竜村にあった満島俘虜収容所の警備員だった。その収容所で、戦時中、食材に「ゴボウ」が提供されたのだという。収容されていた外国人達からは、日本人から「木の根」を食べさせられるという虐待を受けたとの訴えがあったのだという。結果的に、収容所の警備員だった人物は「無期懲役」の判決を受けたという。確かに、見た目では、ゴボウは「木の根」に見えても不思議は無さそうだし、外国の方々の表現は決してまことしやかな真っ赤な嘘とは言い切れないと言えよう。幸い、その警備員は間もなく釈放されたということである。
 ところで、「ゴボウ」の語源は一体どこから来ているのだろうか?そして、何故「牛蒡」と表記されているのだろうか。GKZ植物事典のゴボウの頁では、語源の欄では、ゴボウの語源を<漢名「牛蒡」の音読みから>と記述した。「牛蒡」は呉音では「グ ハウ」、漢音では「ギウ ハウ」と発音した。そこで、我が国では、「ゴハウ」と読み、そして「ゴボウ」へと転訛したといえよう。
 では、中国では、何故「牛蒡」と表記したのだろう。中国では、基本的には、自国内に存在する植物には一文字の漢字が充てられる。ゴボウの場合には「牛蒡」と二文字が充てられている。ということは、ゴボウが、その初めは中国では外来植物と考えられたか、或いは、ゴボウの原産地が都を遠く離れた辺境の地であったことを示していると言えよう。一般的に、ゴボウの原産地は、中国北部~シベリア~ヨーロッパと言われている。
 中国医学の世界では、ゴボウの実を「悪実」と称して薬用としたと言うことである。当初野菜として栽培もされたが、やがて栽培植物から消えてしまったという。「牛蒡」の語源は、その実が他物に粘着するために、「旁(そば)」につく植物として、「旁」の文字に草冠をつけたと言うことである。つまり、「牛の傍らについて回る草」の意から「牛蒡」名が生まれている。我が国でも用いられるゴボウの別名「鼠粘草(しねんそう)」も中国から渡来した名であるが、同様の意味からと理解できる。一部の書では、ゴボウとはその根の形状から牛の尾に見立てて「牛房」としたと説明が見られるが、中国で「牛蒡」の名が登場したのは、「根」では無く、「実」に着眼してのことと言うことになる。
 
 千葉大学の青葉高教授の著書『ものと人間の文化史43 野菜:在来品種の系譜』(法政大学出版局 1981年刊)にはゴボウの来歴について、次のように記述されている。
 「
もともとは外国の植物であったものを我が国で改良して野菜にしたものはゴブダケであろう。ゴボウは中国北部、シベリアからヨーロッパにかけて広く野生し、日本には野生していない。我が国には、はじめ薬草として導入したらしい。薬物を記載した『本草和名』(918年)の草の部に悪実、和名をキタキス、ウマフブキとして載っている。平安朝初期の『延喜式』などに食用作物としてはゴボウの名は載っていない。栽培は、平安朝以降らしく、平安朝末期の『類聚雑要抄』などに牛蒡の名が野菜として初めて載っている。
 どうやら我が国で牛蒡が栽培され始めたのは平安時代からのようである。上掲書にゴボウの平安時代の和名に「ウマフブキ」と出ていた。確かに葉姿は、フキに似ている。そこで、ウマフブキとは「旨い蕗」と理解できる。ということは、その当初は、ゴボウの「根」の部位では無く「若茎」を食用としていたのかも知れない。
 野菜として、我が国で独特な発達を遂げたゴボウであるが、どのような食べ方をされてきたのかを調べてみた。恰好の書として、次の書をお勧めしたい。
 林春隆著 『食味宝典 野菜百珍』(中公文庫 1984年刊)
全部で13種類の調理法が掲載されている。加えて、ゴボウにまつわるエピソードも添えてあるので、興味をお持ちの御仁は、手にとってご一読されることをお勧めしたい。
 併せて次の書も一読に値するの。
 本山荻舟著 『飲食事典(全一巻)』(平凡社 1958年刊)
 著者は、平凡社の『世界大百科事典』の料理に関連する項目を全て執筆したことで知られる博識な御仁である。
 冒頭にゴボウを詠み込んだ短歌を二首掲載したが、我が国の古典の世界では、ゴボウはどのように登場するかと興味深く調べてみたが、残念ながらあまり登場しては来なかった。
 文学関連では、『梁塵秘抄』、『近松浄瑠璃集』の2例のみだった。
 本草書関連では、『本草和名』、『倭名類聚鈔』、『下学集』、『和漢三歳図絵』、『大和本草』、『菜譜』、『物品識名』、『本草綱目啓蒙』等であった。
 ごぼうというと、どちらかと言えば、庶民的な印象のする野菜である。さぞかし、俳諧関連書には登場するかと期待したのだった、探し方が悪かったのか、江戸期の俳句に登場するゴボウには辿り着けなかった。
 因みに、俳句の季語としては、ゴボウは、「牛蒡蒔く」(春)、「牛蒡の花」(夏)、「牛蒡引く」(秋)として設定されている。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今日は、未だお正月気分の抜けきらない1月9日である。今年は珍しく気温の高い穏やかなお正月だった。昨夜から今年になって初めての雨が降った。冬の雨は気分が滅入るので、陽気な音楽が欲しいと躊躇せずに取り出したのフランスのJacques LoussierのCD全集だった。全部で8枚のCDアルバムだ。つまり、お正月というのに、ジャック・ルーシエのピアノでバッハを聴いたのだ。現代社会では、バッハだってジャズになってしまうのだ。とにかく軽快の一語に尽きる。バッハというと厳粛なイメージが伴うが、ジャック・ルーシェ・トリオの場合は違う。単に軽快なだけではない。3人の演奏は巧みだ。気分良く聴いている内に、効果覿面、昼頃から太陽が顔を見せたではないか・・・。
 H.29.01.09