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ドクダミ(蕺草)について
 北原白秋は、大正2年に刊行された彼の歌集『桐の花』の中で、ドクダミについて次のような歌を残している。
    
色硝子暮れてなまめく町の湯の窓の下なるどくだみの花(桐の花) 北原白秋
 もし、ドクダミという植物をまるで知らない人は、果たしてどのようなイメージを脳裏に浮かべるのだろうか?そして、それが季節的にいつ頃の歌と思うのだろうか?
 白秋は、等しく『桐の花』の中に次のような歌も残している。
    
どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし(桐の花) 北原白秋
 この2首から、果たしてどのような花を思い浮かべるのであろうか?また、どのような香りを放つ花なのか、何色の花なのか、どんな形の花なのか、どの程度の花なのか等々と、ドクダミを見たことの無い人の場合には、それこそ思い思いに御自身のイメージを思い描くのではなかろうか?何しろ詠み手が白秋であるだけに、さぞかし清楚な花を連想されるものと思われる。
 ドクダミとはこのような花である。→ドクダミ
 上に引いた白秋の2首に詠まれたドクダミと私の知っているそれとは、随分イメージがかけ離れている。そして、文学者とは、あのドクダミすらこんなにも美しく詠み上げてしまうものかとただひたすら脱帽するのみである。
 私にとって、ドクダミは子どもの頃から見慣れた植物の一つである。少しも珍しくない植物だ。それだけに、上に「ドクダミという植物をまるで知らない人」という仮定したのは無理があるのかもしれない。つまり、果たして、ドクダミを知らない人など存在するのだろうかということになる。ドクダミは、日本を含む東アジアに広く分布する野草だというが、私の記憶では、人里の、しかも庭の片隅等で良く目にしているようにも思うのだ。野生のドクダミというものを目にした記憶がない。それだけに、個人的には人里の植物というイメージが強い。
 ドクダミを大槻文彦著『大言海』(冨山房)に見ると次のように出ている。
 
どくだみ(名) 蕺草 毒痛(ドクイタミ)ノ意カト云フ 古名、シブキ 草の名
 そこで、今度は、シブキを同書に引いてみた。
 
しぶき 蕺 蕺ハしふナリ、きハ木ノ義カ 草ノ名 今、どくだみト云ふ
 シブキの出典として次の2書を掲げている。
   『倭名類聚鈔』:之布木    
   『本草和名』」之布岐
 今度は、『岩波 古語辞典』を引いてみた。
  
しふき「蕺」 ドクダミの異名という
と出ていた。出典としては、『類聚名義抄』が掲げられていた。
 新村出編『広辞苑』(第三版 岩波書店)には、次のように出ていた。
 
どくだみ「蕺草」(毒を矯める・止める、の意)。江戸時代中頃からの名称
 これらから、ドクダミは昔はシフキ或いはシブキと呼ばれていた。そして、現在のようなドクダミという名前は江戸時代中頃以降であることなどが理解できた。しかし、『大言海』に見られた<蕺ハしふナリ>の説明文が気にかかった。<しふ>とは現代仮名遣いで表記すれば<しゅう>ということになる。ドクダミを漢字表記すれば「蕺」であるが、この漢字の音読みは「しゅう」である。『大言海』の云うとおりである。つまり、古語の「シフキ」とは、漢名「蕺」の音読みからきた名前だったのではなかろうか?とすれば、漢名を知る以前には、別の名前が存在したことになる。『広辞苑』では、「ドクダミ」という呼称は江戸期中頃以降と云っているからだ。或いは、元々我が国ではドクダミのことをシフキ(シブキ)と呼んでいたが、漢名の音読みと偶然一致したと云うことなのだろうか?だとすれば、あまりにも話が出来すぎているようにも思えるのだ。と申しても、「シフキ・シブキ」以外の古名については、様々な書をひもといて見たが、見出すことは出来なかった。
 「ドクダミ」という名前の語源についても、「毒痛み」からの転訛とか、「毒を矯める」からの転訛とか云われているが、様々な薬用に用いられたことから推測すれば、「毒矯み」からの転訛という説が、個人的には納得できる。
 ドクダミの異名として「十薬」がある。その意味は、十種類の薬を用いたほどの効用があるからとか、十の効用が認められるからといった説明が成されている。しかし、中国でのドクダミの異名に「重薬」があった(加納喜光著『植物の漢字辞典』)ということである。「重薬」が同じ音読みをする「十薬」に転訛してしまったのではなかろうかと思う。
 因みに、大塚敬節著『漢方と民間薬百科』(主婦の友社)によれば、ドクダミには次のような効用があるという。
 痔・高血圧症・便秘・頑癬(たむし)・陰部の爛れ・腫れ物・風邪・淋疾・腰痛・蓄膿症・冷え性・帯下(こしけ)。
 
 今回は、北原白秋の作品引用からスタートしてしまったが、さぞかしたくさんの文学作品にドクダミは登場しそうな誤解を与えてしまったかもしれない。しかし、文学関連の古典には、ドクダミは全く出てこない。俳諧の世界では、人々の日常生活に密着している森羅万象を季題として定着させている。その俳諧の世界ですらも、本格的にドクダミを詠まれるようになったのは現代に入ってからである。因みに、俳諧の世界では「十薬」として夏の季題におさめられている。
文学関連では、唯一『蜻蛉日記』の名が登場してくることになる。上掲の『広辞苑』に「しぶき」を引くと、次のように記載されている。
 しぶき[蕺] シブクサ(一名ギシギシ)の古名。食用に供する。一説にドクダミの古名。
  蜻蛉
「池に・・・というもの生ひたる」
として、出典を挙げている。『岩波古語辞典』でも『蜻蛉日記』を挙げている。
 もし、ギシギシの古名がシブキであり、漢字表記が「蕺」であるならば、漢字表記の上で漢字を我が国で誤用したことになる。本来的に「蕺」とはドクダミの漢名であるからだ。この『蜻蛉日記』に出てくる「シブキ」が果たして、ドクダミを意味するものなのか、ギシギシを意味するものかは、定かではないようだ。そこで、この『蜻蛉日記』を保留にすると、他には、文学関連ではドクダミは登場していないのである。本草書関連ではたくさんの書に登場しているのだが、文学には登場しない。これは奇異な事柄と思う。冒頭にも述べたように、ドクダミは殊更珍しい植物でもなく、何処にも見られるからである。何故、『万葉集』や『枕草子』に登場しないのだろう?また、江戸期の俳人、芭蕉・蕪村・一茶等の句集には登場しないのである?どうもわからない。しかも昔はドクダミを食用にもしたという。ドクダミには独特の異臭があるが、茹でるとそれも解消するという。未だ自分では試してみたことがないし、もしあの異臭が鍋に残ったら厭だなと思うと試す気にもならない。だが、花そのものも独特な十字花であり、しかも梅雨時に白色の花を見せる姿は遠目には清楚な感じを受ける。そうしたことを拾い上げて行くと、何故ドクダミが文学関連の古典に登場しなかったかが疑問に思えるのである。
 我が家では、敷地内の表土をすっかり入れ替えてから現在の家屋を建て直している。結果、家屋が新築された頃には、敷地内にドクダミは見られなかった。その当時、我が家の両隣は空き地だった。その空き地に、ドクダミが生い茂っていた。梅雨時に、栗の木の下等の暗がりで、雨に打たれて白い花を見せているドクダミをみると、これも日本の夏の風物詩の一つだな等と遠目に眺めていたものだった。ところが、その後、両隣は一変してしまった。片やアパートが建ち、また、反対側の空き地には商店が建ってしまった。どちらも、地面をコンクリートですっかり被ってしまった。すると数年後に、驚いたことに、ドクダミが我が家の庭に侵出してきたのだった。当時、勤務先での仕事が多忙に過ぎたので、放置してしまったところ、ドクダミは我が家の敷地内で縦横無尽に繁殖を繰り返すこととなった。植物図鑑等でドクダミの解説を読むと、湿り気の多い半日陰のような地に自生がみられるというようなことが記述されているが、そして、子どもの頃から見慣れたドクダミも概してそのような場所に見られたものだった記憶がある。だが、ドクダミの繁殖力たるや恐れ入ったもので、地下のランナーがあちこちに走り回り、日当たりが良かろうが、悪かろうがお構いなしに地表に顔を出す。ある年、思わずびっくりしたのだが、地面から50㎝程の高さにコンクリートの平板を置いてその上に盆栽鉢を並べておいたのだが、その盆鉢の中からもドクダミが顔を出したのだ。ランナーばかりではなく、種子でも繁殖するものと思い知った次第である。毎年、春から夏にかけて、ドクダミと戦争の様相を呈している。歌人、真鍋美恵子さんの歌に、ドクダミを詠んだ次のような作品がある。
   
毒だみが土を占めゆく勢をわれは憎めり暑に衰へて(白緑)
今では、この歌の心境がよく分かるのだ。しかし、どうやっても、ドクダミばかりは、根絶を期すのは無理のようであると、今ではあきらめの境地に至っている。だからと云って、放置も出来ず、困惑することしきりである。庭にハンゲショウが見られるが、これもドクダミの仲間であることを知ると、一時は、これも鉢に移そうか等と思案したものだが、どうやらこちらはそれほど無闇に繁殖するものではなさそうで助かっている。
 庭のあちこちにドクダミが見られる状況を目にすると、それを目にした人は、如何にも我が家が不精者であるかのような印象を持ち、口の悪い人は、まともにご指摘下さることもある。私のように年寄りではなく、若い方々は、ドクダミの語源も知る由もなく、現代では民間薬として用いることもなく、況してや食用に用いることもない。加えて独特の異臭を放つ。何よりも「毒」という言葉に嫌悪感を感じるらしい。 
 ドクダミは梅雨時に白い十字花を見せると上述したが、実際には、4枚の白い花弁のように見えるのは苞であって花弁ではない。ドクダミには花弁も萼もないのである。実際の花は、白い苞葉の上に見られる穂状花序の中に小さな花が密集していることになる。非常に小さなドクダミの花は、花弁を持たず、3個の雄蕊と1個の雌蘂とから出来ている。このドクダミの花序は、植物の進化の上で、風媒花へと進化した植物群と虫媒花として進化した植物群との中間的な特殊な存在であるという。
 ドクダミには、一般的な十字花形の花だけでなく、特殊なものとしては八重咲き種(Houttuynia cordata var.plena)もある。また、葉に斑の入る品種(Houttuynia cordata var. variegata)がある。ドクダミは、あまり観賞用に鉢植えされることはないが、この八重咲き種と斑入り種ばかりは観賞用に栽培される事が多い。欧米では、普通のドクダミも観賞用に露地植えされるが、斑入り種は特に人気がある。斑入り種が、欧米に渡り、「カメレオン」の名で園芸界に流通している。その「カメレオン」種が、オランダを経て我が国に逆輸入されて、我が国でも園芸界に流通している。ある時、妹の家を訪れた際に、庭に斑入り種のドクダミが路地植えされていた。お稽古事のお師匠さんから頂戴したのだという。特に、秋には紅葉が見事だとも云っていたが、私は、自宅の庭でのドクダミの驚異的な繁殖力に辟易しているだけに、やがてどうなるのかなという不安が心中に残ったものだった。
 最後に、やはり、ドクダミについては大きな疑問が残る。何故、『万葉集』や『枕草子』と云った古典に登場しないのかと云うことだ。そして、古語をシブキと云ったということ。そのシブキも本来的にはシフキであったということ。『大言海』では、シフ・キと説明し、シフは「蕺」と云っている。「蕺」の音読みと云うことになる。
 もし、上代にも我が国にドクダミが自生していたとすれば、ドクダミの漢名が我が国に入ってくる前には何と呼ばれていたのだろうか。
 勝手な妄想を以下に述べる。ひょっとしたら、ドクダミは、漢名だけでなく、隣国から渡来したのではないかということである。とすれば、ドクダミが、様々な古典に登場しなかった理由も分かる。その後、ドクダミは、持ち前の繁殖力を発揮して我が国にすっかり定着を見てしまったのではなかろうか。
 だが、そんなことを申したら、専門の学者諸氏から何を馬鹿なことをと、一笑に付されてしまうのであろう。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今日は、昨年9月に72歳でこの世を去ったMary Traversを偲んでPeter Paul and Maryのアルバムを聴いた。音源はCD。P.P.Mと言えば60年代に活躍したフォークグループだった。フォーク・ソングであり、政治的なメッセージを強く込めた歌詞に当時の若者が共感したのだった。P.P.Mは、ベトナム反戦を強くアッピールしたが、当時の世界的な学生運動の一大ムーヴメントに、若者達は自分たちの主張を歌ってくれているグループと受け止めたのだった。マリーは、白血病で、骨髄移植を行ったが、結局は逝去してしまった。一説には、骨髄移植の副作用が死因とも云われている。実は、私自身、彼女の病気と関連した病気で大学病院に通院している。数ヶ月前に骨髄検査も受けた。抗癌剤も服用している。そうした彼女の死因、そして、彼女たちの歌が街に流れていた頃の自分の姿とを想起しながらP.P.Mの歌声を聴いた。私も、現在、70歳、間もなく彼女が逝去した年齢になる。マリーに合掌!
 H.22.03.18