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情報化社会の有難味
 團伊玖磨先生のご著書の中に「アランチャ」という植物名が登場した。これを調べるのには困惑したものだった。
 これが、アルファベットで記述されていれば、それなりに検索も容易だったが、カタカナで表記されているとなると、果たして何語なのかの見当もつかない。しかし、カタカナ表記されているということは、外国の植物であるということだけは見当がつく。それも、恐らく西洋の何処かの言語の筈と思えた。
 ことばの響きから、初めはそれがスペイン語かなとも考えた。そこで、スペイン語を理解する国内外の知人に問い合わせたが、明確な答えは返って来なかった。
 私なりに、あれこれ手探りで調べてみたのだったが、とうとうたどりつくことが出来なかった。そこで、最後の手段という諦め気分で、インターネットで、「アランチャ」と入力してgoogle検索を試みたのだった。すると、見事にヒットしたのには、大いに驚いた。関西地区のあるパン屋さんの店名が「アランチャ」だった。そして、店名の謂われとして、その店の主がかつてイタリアで修行をし、「アランチャ」とは、イタリア語でオレンジを意味すると述べられていた。早速『伊日辞典』を開いて見ると、確かにオレンジは彼の国ではアランチャということが納得できた。
 そもそも自分で勝手にスペイン語ではなかろうか等と単純に思い込んでしまったのが間違いのもとであった。イタリア語と分かると、なるほどなと思えることがあるのだ。團先生の御著書の中には、イタリア料理に関するハーブやスパイスの名称がたくさん登場するのだった。逆に、スペインに関する植物の記述はほとんど見られなかったのである。それに音楽家とイタリア語とは切っても切れない関係にもあるのだ。
 「GKZ文庫掲載にあたって」の項では、書物の有難味を述べたものだったが、上述の出来事以来、書物よりも先にインターネットを検索する習慣がついてしまったことは謂うまでもない。
 また、ある物の本の中で<wind mill palm>という植物名に出合った。英和辞典を開いてみても分からなかった。<wind mill>とは「風車」のことであり、<palm>とは「椰子の木」であることがわかる。その両者が結びつくとどのような椰子の木になるのかが皆目見当がつかない。そこで、イギリス、オーストラリア、アメリカ、カナダの4カ国の大学の知人にメールを送って見た。そして、出来れば、写真も送って欲しい旨書き添えておいたのだった。すると、4人とも写真を添えた返信を送ってくれたのだが、口を揃えたかのように、「我が国よりも、むしろ、日本でならば普通に目にするのではなかろうか。」と記述していた。写真をみれば、何のことはない、それはシュロ(棕櫚)だった。我が家の庭にも見られる植物であり、これには恐れ入った。何しろ、シュロは、特にワジュロとも呼ばれ、我が国原産でもあるのだ。シュロと判明すれば、その葉姿が、ウエスタン映画に良く登場する風車の羽根にも見えるなと思えたものだった。それにしても、とても恥ずかしい思いもしたが、電子メールの有り難さでもあると痛感したものだった。
 ある年、大学で学生に課題を出した。我が家の書斎にリンゴに関する三部作があるが、その著者名、書名、発行所名、発行年を調べてメールで報告するようにというものだった。加えて、どのような方法で調べたかも併せて報告することも課題の一つとするとも述べておいた。その場で、学生から我が家のメール・アドレスは教えて貰えるのかと質問があった。しかし、それを調べるのも課題の内であると答え、大学当局には、学生に私のメルアドを教えないことを指示してある旨も伝え、また、直接我が家を訪問することも禁止とする旨を伝えておいたのだった。結果として、9割程度の学生が見事にクリヤーしたのである。講義の中で、現代社会においては、「情報選択能力」、「情報活用能力」、「情報処理能力」は欠かせないと何度も述べてきたが、学生達の情報収集能力の巧みさにはまさに脱帽と言えた思いがしたものだった。しかし、考えようによっては、恐ろしい社会でもあるように感じるのだが、如何なものだろうか。ただ、学生達にとっては、現代の情報化社会の有難味が痛感できたのではなかろうかと思うのである。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、ヘレン・メリルのアルバムで彼女のジャズ・ヴォーカルを聴きながらタイピングしました。彼女の歌声を「ニューヨークの溜め息」というそうですが、いったい誰が・・・・・・・、確かに言い得た表現と思います。
 H.20.06.14