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電話について
 私は、未だに携帯電話なる文明の利器を所持していない。この年齢になるまで持たなくて済んだのだから恐らく自分の人生が終わるまでそれを持ち歩くことにはならないであろう。それを持とうとしない理由は単純な理由からだ。確かに、それがあれば、こちらから情報を求める場合にはとても便利だなとは思うのだが、相手が誰であれ、あまり電話を受けたくないというのが正直な理由なのだ。というのは、電話というものは、前触れや予告も無しに、こちらの都合とまるで無関係に突然やってくるからだ。
 それにしても、電話という文明の利器はとても古くて新しいメディアであると思える。私の小・中学生の頃には、一般家庭には電話が無かった。あの当時、電話がほぼ全家庭にまで普及すると誰が想像したことだろう。そして、それが個人持ちとなりワイヤレスにまで至るようになるとは夢想だにしなかったのではないだろうか。
 私は、随分昔に自著(『わかる授業をつくる教育工学』第一法規刊 1986)の中で、
  「テレビ・電話・コンピュータ、この三者こそは、これからの時代の私たちの生活の中における三種    の神器であるとも言えそうです。」(上掲書P.160)
と述べた。今にして振り返ってみると、この三者の中で、電話こそが予想外の急激な変貌を遂げたと思うのだ。
 上述の書を執筆していた頃には、私は、電話に関しては端末としての電話よりも電話回線の重要性に着目していたのだった。アメリカのゴア副大統領が「情報ハイウエイ構想」を打ち出したりもして、情報のネットワーク化と高速化とが、当時の最大の関心事だったからだ。折しもアルヴィン・トフラーが『第三の波』を発表して情報化社会に関する近未来予測をし、それが着実に進行している最中でもあったのだ。そもそも、現在のインターネット構想のきっかけは、米ソの冷戦時代に始まると言われている。互いに大陸間弾道弾やそれに対する迎撃ミサイル等の開発に鎬を削ってきたのだった。両国とも広大な国土面積を有するだけに、万一敵国から攻撃を受けた場合に備えて情報網を完備し、高速に伝達する必要に迫られていたからと言う。話題が急に逸れて恐縮だが、我が国の電信電話網と鉄道網並びに正確なその運行は、やはり、島国である我が国が、どこから他国に攻められても、それに対応が出来るための軍事的に必要不可欠なインフラであったのだとも言われている。我が国の場合は、明治期の話だが、上述のインターネット構想はその現代版とも言えよう。とにかく情報網の完備には、電話回線が必要不可欠なのではないかと私は考えたのだった。
 今日、確かに、電話回線は、情報化社会の中で重要な発達を占めつつある。しかし、端末としての電話機そのものが大きく変容したと言える。上掲書を著した頃には、私は、テレビ・電話・コンピュータが一体化するものと予測していたのだった。もちろん、パソコンを通して電話をすることは、今となっては少しも珍しいことではない。また、パソコンのモニターでテレビを見るということも少しも不思議ではない。つまり当たり前のようになってしまっている。そこまでは、電話回線の用途に関する予測通りとなってしまっていると言えよう。
 だが、上述の書を執筆していた頃に、よもや電話が、ワイヤレスになり、しかも個人持ちになるであろうとは恥ずかしいことに想像もしていなかった。しかも、今日のような多機能なマシーンと化すとは予想もしなかった。これほど多機能・多用途になってしまうと、確かに生活必需品と言えよう。また、一度手にしたら手放せなくなってしまうであろうことは間違いがない。第一、電話が個人持ちの時代が到来するであろうなどとは想像もしていなかった。しかも、それを持ち運びするようになるであろうということも、これまた想像していなかった。今では、単なる電話回線の端末以上に、様々な面で活躍している。あるときは書物の代わりに、あるときはカメラとして、ある時はテレビ放送を見て、あるときはデジタル・オーディオ・プレイヤーとして、あるときはお財布として、あるときはパソコンとして、あるときは腕時計として、あるときはカーナビ代わりに、あるときはゲーム機として等々と事例を挙げていたら枚挙に遑がないほどである。まだまだ、この携帯電話なるものは多機能化するのであろう。かつて、自動車に電話がついた時代があった。移動しながら電話が出来るというのは、画期的なことと思ったものだったが、今ではそれどころではない。どこでも電話をしている。しかも、音声ばかりではなく、映像や文書も送受信が可能ときている。実に恐れ入ったものである。
 現在の家屋を建築する際に、私は、各部屋に電話回線を引いておいた。インターフォンとしても利用できると考えてのことだった。その当時は、よもや電話がワイヤレスになる時代が到来するとは考えていなかったからだ。とにかく、家中のどの部屋でも電話を送受信できるようにしたのだった。建築時には、電話回線や、TVやFM放送用のアンテナからの配線も、そして、オーディオ用のスピーカー用のコード等もすべて露出配線にならずに済むようにしたのだった。ただし、書斎だけは、別だった。この部屋だけは電話の来ない部屋にしたいと願い、当初から電話回線を引いておかなかった。やがて、これが大きな間違いとなってしまった。やがて、パソコンを電話回線に接続する段になって大いに困惑したものだった。我が家の電話回線は、書斎とは離れた位置に引き込まれていたからだ。結局、パソコン用に電話回線を増設することとなってしまった。当然、電話番号を二つ持つこととなってしまった。我が家は、6人家族であるが、私以外は全員が携帯電話を所持している。したがって、固定電話は2本も要らない。パソコンにつながっている電話回線を残してもう1本はやめてしまえば良いのだが、父の代から使用しているので、親戚や知人はそちらに電話を入れてくるので辞められないでいる次第である。
 電話回線で受信するものに、音声ばかりではなく、Faxやメールがあるが、前者の場合、プリントアウトしないと用件が判明しないという煩わしさがあった。そこで、今では、Faxは、パソコンで受信するようにしてみたが、これは有り難い。毎回プリントしないで済むのでインクも紙も不要となるからだ。メールに関しては、今日、電話以上に重要な情報交換の手段と化していると言えよう。文面ばかりではなく、添付ファイルに様々な内容を含めて送受信が出来るので、電話では得られない情報交換が出来る。これはとても有り難いことである。しかも、電話と異なり、自分の好きな時間にメールを開くことが出来るのは何より有り難いことと思っている。しかし、どうしても即答が得たい場合には、やはり電話に頼ってしまうことになる。つい先日も、カナダの大学に勤務する知人に電話を入れたのだったが、暫く会話をした後に、ふと、現地では何時なのかを訪ねたところ、間もなく午前4時になるところだとの返事が返って来た。これには大いに困ってしまった。相手が睡眠中に電話をかけてしまったのであった。欧米に電話をする際には、当該国との時差を考慮に入れないとならないのは十分承知していたのだったが、自分の脳裏に疑問がわいたと同時に電話をしてしまったのだった。たとえば、オーストラリアの西部地区にインド洋に面した美しい街、パースがあるが、こちらの場合等は、日本とほとんど時差がないので、電話をかけるのにもあまり気にしないで電話がかけられるが、欧米の場合には、上述のようなしくじりをしてしまうことになる。こうなると、FaxやEメールは相手に迷惑をかけずに済み有り難いメディアであるとも言えよう。特に、Eメールの場合、通信に要する費用が定額方式であるため余計な支出が無い点でも有り難い。電話の場合には電話料を気にする必要が出てくる。
 話題は変わって、ある時、携帯電話に関する悲惨な光景を目にしたことがある。通勤の帰途に乗換駅で電車を待っている時に、目の前を歩いている人の鞄の中から携帯電話の呼び出し音が聞こえた。40代から50代とお見受けするサラリーマン風の男性だった。その方は、立ち止まって鞄から電話を取りだし、周囲にも聞こえるような大きな声で会話を始めた。やがて、その方の言葉は、幾分途切れ途切れとなり、見れば、何度も何度も頭を下げている。その内に、しきりに謝罪している。周囲の人の目は一斉にその人に注がれる。その方は、片手に電話を、片手に鞄を持ち、見れば涙を流している。手放しで涙を流しているものだから、足下に涙の跡が次々と出来て行く。周囲の人は尚更その人を注視することとなる。その方は、真剣な表情で、そして頭を下げながら言葉を選びながら謝罪を繰り返していた。恐らく、仕事上で、取引先との間で何等かの不手際が生じたらしい。大勢の人々が見守る中で、手放しで涙を流しながら、それこそ真摯な態度で謝罪するその方に、私ばかりではなく、その場に居合わせた人々は一斉に同情の眼差しを注いでいたのだった。会話の内容から判断するに、どこかの企業のそれなりの役職にある御仁のようであった。やがて、電車が来たので私はそれに乗って帰宅したのだが、車中で、不謹慎な想像を巡らせてしまった。もし、その方の部下職員の方がその場に居合わせたとしたら、どのような印象を持つのだろうかと。また、もし、その方のご家族がご一緒だったとしたら、奥様は、お子様は、それぞれ自分の夫に対して、父親に対してどのような印象を持つのだろうかということである。部下職員にしても、ご家族にしても、とにかく衝撃的なシーンとして忘れることはできないのではなかろうかと思うのだ。電話を懸けている側は、相手がどのような状況にあるかを知らないものだから、自分の怒りの原因を作った相手に情け容赦なく自分の感情を押しつけることが可能なのであろう。私は、自分が携帯電話などと言うものを持っていなくてよかったなとしみじみ思った次第である。
 今度は、完全に馬鹿馬鹿しい笑い話であり、私個人の事例である。ハワイに出かけた際に、旅行業者が携帯電話を持たせてくれた。何かあった時は便利だろうな程度に考えて、デイパックの中にしまい込んだままにしていた。三日目になって、ハワイ大学に勤務するS先生の息子さんがホテルに訪ねて来て、私の携帯電話を見せて欲しいという。理由は、前夜、夕食に誘おうとしたが、何度アクセスしてもつながらなかったのだという。息子さんは、私が差し出した携帯電話を見て笑っていた。原因が分かったからだ。私の携帯電話は、電源がoffになっていたのだった。私は、外国に来てまで、電話を貰うことはないと思い、加えて、平素から携帯電話を持つ習慣がないものだから、バッテリーが消耗してはいけないと思って、電源を切っておいたのだった。Sさんの息子さん(N君)からは、これではつながらないはずですよと笑われてしまった次第である。
 随分昔のことであるが、ある中学校の若い先生が、「もし、電波に色がついていたら、年々外気の色が変化してゆくのがわかるでしょうね。」と申していたが、まさにその通りと思う。何も携帯電話ばかりが電波を使用しているわけではないのだが、その急激な普及率から見れば、空中に飛び交う電波の量は、私の産まれた頃と比較すると膨大な量となるのではないかと思えるのだ。
 蛇足:まるで関係のないおまけ                          
 今回は、つい先頃この世を去ったピーター・ポール&マリーの一人、マリー・トラヴァースを偲んでP・P・Mの歌うフォークソングを聴きながらタイピングしました。ピート・シガー、ジョーン・バエズそしてP・P・Mと言えば、60年代のフォークソング全盛期だった。あの頃、若者は日本の将来と世界の平和を真剣に考えていたものだった。当時の私達を力づけてくれたマリーに合掌!
 H.21.0926